質問への回答「学校楽しくなさすぎて辞めたいし、そもそも理学療法士になりたいのかもわからなくなってきた。こーゆーブランクありましたか?」

訪問メインですが、学校での授業もさせてもらっています。担当授業の最後に質問を受けました。


「学校楽しくなさすぎて辞めたいし、そもそも理学療法士になりたいのかもわからなくなってきた。こーゆーブランクありましたか?」

んー。それは悩みますね。将来理学療法士になりたい!と思うから、しんどくても勉強できる。逆に、そこまで強い意思でなくても、学校が楽しければ続きますし。そのどちらも失いそうなんですね。辛い状況でしょう。
辛い一方で、思考停止せずに、自分自身の今・未来を考えている証拠でもあるのかな?と思いました。

 僕の体験談が、あなたの次の一歩を勇気づけられるか分からないし、返事として適切かも分からないけど、書かせてもらいます。

 僕個人としては、「学生時代に授業の内容への不満は沢山あった。授業よりも楽しみたいことも沢山あった。ただ、PTになるという思い自体を悩むことはあまりなかった。」のが正直なところです。

ただ、「先輩や同期で、転校した人、留年した人、資格とったけどPTしてない人は結構いる」んですね。その人のエピソードが、何かヒントにならないかと思って、書き進めます。ほぼ、僕の記憶頼みで会話の内容は実際と違うこともあるかもですが、ご容赦ください。

エピソード①留年しまくったけど、今はPT。「全然興味わかないけど、学校続けてみるわ。だって…」

一人目は同期のA(仮名)さん。2年か、3年生なるくらいで単位が足りずに留年し、卒業は別になりました。ただ、僕の学校はクラスの仲がよく、「留年して学年変わろうが、逆に同期という形になろうが、楽しくやろうや」という雰囲気がありました。なので、学年は離れてもよく遊びました。授業では会わないけど遊んでました。Aは卒業しないのに、卒業旅行にも来てもらいました(笑)
ただ、Aは学校自体に来ない、連絡もつかないという時期があり、単純に友達として心配だったり、「PTになるかどうかはおいておいて、一緒に遊びたい」という関わりをしてました。

 Aが卒業式の日に言った言葉が印象的でした。Aは卒業しないのに、泣いてて。嬉しいような、その光景が面白かったりで、「何でお前が泣いてんねん!」ってやりとりしてたなぁ。Aさんがその時にこんな事言ったんです。
「俺、PTになりたい気持ちはそんなにないけど、学校続けるわ。【みんながなろうとしている仕事】っていうことに、興味がある。
 結果的に、数年遅れてですが、無事試験に合格し、今も現場でPTしています。あんなにやる気ない発言してたAさんには、「研修(自己研鑽の集まり)」でよく会います。

エピソード②「やっぱり〇〇になりたいんだわ」で転校したB

二人目。大のサッカー好きで、恐らくサッカーが上手くなりたくて筋肉詳しくなったのかな?みたいなBさん。初めて会った時にサッカーボールもってて(笑)「サッカー好きなん?」て聞いたら「何で分かったん?」みたいなやりとりするキャプテン翼の中から出てきちゃったようなやつでした。

こうやって書くと学なさそうな感じですが、Bさんはめちゃくちゃ勉強得意でした。「すげー頭いい人がいるもんだな。サッカー熱もすごいけど」みたいな感じ。けど、「PTは現状で選べる資格で決めた。本当は医者になりたかった」ということを知りました(記憶なのでズレもあり)。大学生活しながら、その気持ちは消えず、B自身相当悩んだのでしょう。2年生にあがらず、仮面浪人という形で勉強を続け、今は医師免許を持っています。

エピソード③国家試験合格後、〇〇で勤めることを決めたCさん

続いて先輩。さわやか体育会系って感じで、後輩の面倒見もよく、PTの成績も優秀(と聞いていた)。こういう人が、PT業界を引っ張っていくんだろうなぁ…と思ってました。
先輩らの就活が終わる頃には、○○さんは地元に帰る。○○さんは△病院、、、みたいな話をよく聞きました。Cさんどうするんだろう?なんて思ったら、なんとPTとして働く予定ではないと。
事実かどうか、僕に本音を言ってくれたかは分かりませんが、唯一記憶に残っているのは、「コスパ悪い」でした。個人的にはその意見には賛同しかねます。
ただ、「PTの資格を取得する=PTとして働く」という選択肢しか思ってなかった僕にとって、そうでない道を最初に示してくれて方でした。

※ちなみに、余談ですが、僕はgoogleアラートに「理学療法士」を登録しており、先日Cさんの記事が届きました。卒業時と同じ企業で、理学療法士のCさんと紹介されており、ザ・医療介護福祉現場でないけど、PTの知見を活かした活動されているんだなぁと、なんだか嬉しくなりました。

エピソード④PTになるが一度離れる。そして戻るというパターン

 最後です。その人の実家は家業をしており、その将来性に不安をもち、「卒業後の仕事がはっきりしている学科」であり、自分の希望「スポーツに関わる人を支援したい」とマッチしたPTに入学します。なので、「やめたら家業=それだけはイヤ」という感じでした。

 実際にはそんな切羽詰まった感はなく、同級生に恵まれ学校自体が楽しかった。更には意欲の高い仲間のお陰で、スポーツに関する知識を取り入れる機会も多くありました。
 けど、いざ学年が上がるにつれ、「病院の異質さ(対象が病気・ケガの人ばかり、非常に閉じた空間)」で働く前に、自分は他の仕事を知らないでいいのか?という漠然とした不安をもちました。結果、「短期・派遣バイトで色々な働くを体験する」ということをします。ティッシュ配り、ライブ会場設営・撤去、家庭教師などなど…こればっかりは、体験しておいて本当に良かったと実感しています。やってみての向き・不向きを実感できました。

 卒業後はPTとして働きますが、フラフラします。ちょっと割愛しますが、一度PTとして働くこと自体をやめています。その時の記事はこちら

そうです。これは僕自身です。PT取得して、PTとして働いて、PT現場を一回離れています。PTが飽和すると言われることもありますが、圧倒的に不足している領域を感じ、小さな使命感をもって戻ってきました。それについてはまた別の機会に…

終わりに

僕も含め4人の学生~卒業後を書きました。
・モチベーションそこまでないけど続けた結果、今もPTな人
・一度は入学したけど、本当にやりたいことにチャレンジした人
・卒業までしたけど、多くの流れからは自らの意思で外れた人
・PTとして働き、PTから離れ、また戻った人

こう思うと人生色々ですね。僕の周りだけでも、他にも色んな学生~働くまでのカタチがあります。いろんなカタチを見聞きすることで、自分のカタチが見えることもあります。あなたがヒントになったエピソードはありましたか。

※画像はnikoさんよりお借りしました。ありがとうございます。

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