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029 大江健三郎について、私論にもなってない論

 能登半島地震と『君は放課後インソムニア』で展開しようと思ってきた私のnote、やはり私の能登の知見が乏しすぎるため、軌道修正いたします。常に能登の問題を意識して書くわけですが、題材は休止しているブログのように雑多にします。
 明言して初めて取り上げるのが大江健三郎。とはいっても私の初大江が『M/Tと森のフシギの物語』あたりでかなり遅いため、ファンなら必読の数々の書を未読にしてます。『ヒロシマノート』に『沖縄ノート』、『個人的な体験』や『芽むしり仔撃ち』。それは難解で敬して遠ざけたい作家だからではなく、他にも読みたい本があるからで。
 実際、買って読んでる作家のうち、持ってる作品の数で言ったら多い方。しかも単行本で買ってあるのにそれを忘れ、あるいは分かって文庫で買った小説もあるから。すでに記した「M/T」に『静かな生活』、『懐かしい年への手紙』がそう。
 遡って読んだのはここ数年なので、大江健三郎は物語(≒話の展開)がない、あるいは乏しい作家とずっと思ってました。むしろ展開が起こる一瞬、劇中の期間でほんのひと時のために地の文と過去話を費やす作家だと。『キルプの軍団』や『懐かしい年への手紙』が典型例。
 しかし『同時代ゲーム』や『ピンチランナー調書』、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』などにはちゃんと筋書き、話しの展開があり、ちょっと驚いたのでした。「われらの狂気を」はまだ租借できてないけど『同時代ゲーム』は後年のリライト、「M/T」を先に読んでるから当時のブームのスポ根、根性論を取り入れてるとわかる。それがわかって、大いに面白がったのでした。『ピンチランナー調書』は結末のメッセージは定番だけど経済社会に対する強烈な皮肉であり、そこに至る展開が非常に面白かったです。
 それに比べて「手紙」やその続編の『燃えあがる緑の木』、「M/T」までにはまだあった快活さが削がれた印象。「ゲーム」や「調書」にあったでたらめさは既になく、リアリズムに徹してるという記憶がある。初期を読んでない当時はその実直さに惹かれてたけど、初期をぼちぼち読み始めてる今、私のマイベスト大江健三郎、『ピンチランナー調書』になるのかな。

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