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日本の研究力 深刻な長期低落に歯止めを/逢坂誠二 #7594

【23年10月17日 その5897『逢坂誠二の徒然日記』 #7594】
昨日は党務のため日帰りで静岡に行って来ました。夜明け前の都内、空には雲がなく、今日も金星、木星、オリオン座が輝いています。朝の気温は15度、日中は25度、晴れの予報です。

1)日本の研究力 深刻な長期低落に歯止めを
今日のタイトルは昨日の読売新聞社説の見出しです。

社説の書き出しは以下です。

「日本の研究開発力が低下していると言われて久しい。政府は基礎研究の立て直しを図り、これ以上の 凋落に歯止めをかけなければならない。」

今年は2年連続で日本人がノーベル賞の受賞を逃しました。これは2008年以降、初のことだと言います。もちろん社説でも「今年の受賞者の有無が、日本の今の状況を示しているわけではない」と指摘しますが、「論文の引用回数など数々の指標を見ても、日本の地盤沈下が続いているのは確かだ」と指摘します。

その上で私がいつも指摘している「引用回数がトップ10%に入る重要論文の数で、日本はイランに抜かれ過去最低の13位になった」ことを紹介し、「低迷が続けば、将来、日本の受賞者が途絶えることが危惧される」としました。当然の危機です。

この凋落要因として次の2点を示しました。


政府は長く国立大学への運営費交付金を削減してきた。その結果、身分が不安定な研究者が増え、腰を据えて長期的な研究に取り組むことが困難になっている


多くの雑務を抱え、研究費を申請するための書類作成などに追われる研究者も多い

この社説の指摘する通りです。運営費交付金の増額、研究者の身分の安定、研究者の雑務からの解放などを行う必要があります。

しかも儲かる研究、役に立つ研究だけではなく、注目されることの少ない広範な研究領域に目配りをする必要があります。

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今年のノーベル生理学・医学賞に決まったカタリン・カリコさんとドリュー・ワイスマンさんのmRNA研究がまさにそうです。mRNAが、コロナ禍から人類を救ったと言っても過言ではありませんが、この研究は長い間、注目されませんでした。

1961年:mRNAの発見
1978年:mRNAを細胞に入れることでたんぱく質が作られることが明らかに
1984年:試験管内で人工のmRNA合成

この段階で、mRNAが治療薬になるとのアイデアが生まれるのですが、人工的なmRNAが生体内で炎症反応を起こすという課題が発生し、多くの研究者はここで断念します。しかしカリコさんとワイスマンさんは諦めずに研究を継続し、1997年からは共同研究も開始します。

2005年:両氏が炎症の要因を明らかにする論文を発表

しかし論文発表後にもこの研究は話題にならず、カリコさんは、2006年の札幌での国際シンポジウムにしか招待されなかったと言います。

2013年:カリコさんは、ペンシルベニア大学から評価されず、独バイオベンチャーのビオンテックに移籍。

結果的にビオンテックへの移籍がmRNAワクチンの実用化につながります。

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日本でも、10年ほど前からパンデミックの懸念が指摘され、医薬品基盤健康栄養研究所で、2015年からこのmRNAワクチンの研究が進められていました。2017年には臨床試験の段階に入り、本格的に実用化がめざる段階になったのです。しかし臨床試験予算がカットされ2018年に計画が凍結なっています。

この計画が予定通り進んでいれば、日本のワクチンの動向は違っていたかもしれません。

こうした経過を知れば知るほど、広範な研究領域に目配りすることの重要さを痛感します。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2023.10.17===

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