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シャイニングと滝廉太郎

幾何学模様の柄の服とかを見たときに「『シャイニング』の床みたいだな」という例えをよくするけど、実際に見比べてみると全然似ていないことが多くて驚く。見たときは本当に似ていると思ったのに。それだけ記憶というものは曖昧なのだろう。

独特の世界観と才能を持っている洒脱な人間に見せたくて丸いメガネをかけているのだが、たまに風貌を滝廉太郎に例えられてそれがけっこうウケたりする。しかし、これまた見比べると全然似ていない。それこそメガネくらいしか共通項がないのだ。歴史に残る曲を作って教科書に載っていても、多くの人にとって滝廉太郎は「メガネの人」くらいの認識でしかないということだろう。いっそ「荒城のメガネ」みたいな曲を作っていればよかったのかもしれない。

幾何学模様のシャツを着た僕を見たら「『シャイニング』の床みたいな滝廉太郎だ!」と思う人もいるのだろうか。

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