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信じることしかできない

古着屋で買ったジュラシックパークのTシャツを着た。前面に入った例のロゴのプリントがいい具合に掠れていて気に入っているのだが、ふと、この掠れが「古着風」の加工によるものだったらどうしよう、と思った。

古着屋で「古着加工の服の古着」を買うことほど虚しいことはない。こっちは着古したことによる味わいを求めて買っているのに、本末転倒もいいところだ。旅先で買ったお土産が自宅の近所の工場で作られているようなもので、そのもの自体は変わらないはずなのに、魅力は大きく損なわれてしまう。

もどかしいのは、実際のところどうなのかを知る術が僕にはないことだ。専門家が本気を出せばわからないこともないのかもしれないが、非専門家がぼんやり観察するくらいではプリントの掠れが加工であるか否かの判断は難しい。知識がないとはこういうことなのだ。

僕にできるのは「この掠れはきっと古着特有の経年変化によるものに違いない」と強く信じてジュラシックパークTシャツを着ることだけである。「信じることしかできない」というフレーズの安易さと何も言ってなさに引っかかることがたまにあるが、そう言うしかない状況というのもたしかにあるのだ。

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