それは回復の兆しなのか
なんだかずいぶん、書けなくなっていた。
何か綴ろうと思ったら、愚痴しか出てこなかったからだ。
もうすぐ、引っ越して、1年が経つ。
子どもたちが新しい生活に慣れてくれたのは本当に良かった。
まずはそれが大事。
家族の日々の暮らしも、忙しいながらも穏やかに過ぎている。
親から継いだ家業はまだまだわからないことも多いけど、まぁまぁそつなくこなしていると思う。
それから嫁業も、距離感を保ちながら波風立てずにやれていると思う。
だけど、多分私は、「私」がわからなくなっている。
京都にいた時に培ったキャリアや人間関係、スキルは損なわれるものではないと思う。
だけど、決断力とか度胸とか喧嘩強さとか俊敏さとかの、スリリングで刺激的な部分を、私はすっかりなくしてしまった気がする。
羽をもがれたというか、牙を抜かれたというか。
そういう能力を発揮することのない日々に、私は退屈しているのだろう。
留守番するのが仕事で、慎重タイプの夫の判断を待たないといけなくて、オフの日はなくて、自分で自分のことすら決められない。
3食ご飯を作らないといけなくて、友達と飲みにもいけない暮らしに、確実に膿んでいる。
穏やかな暮らしというのは、幸せではあるのだろう。
義母は「あなた恵まれてるわよ」と言う。
きっとそうなのだろう。
小欲知足の考え方で生きる方が幸せになれるのは間違いないと、私だって思う。
だけど、私にはたぶん、物足りない。
欲深い、と自分でも思う。
でも、それが私なのだから仕方がない。
十分だと思えないものを、受忍することはやっぱり、難しいのだ。
でも。
昨日、車を運転しながらふと思ったことがある。
結局、私は、全部人のせいにしてるだけなんじゃないか。
家業のこと、引っ越したこと、義両親とのこと、夫の性格のこと。
全部そういうもののせいにして、やるべきことがあるのにできない言い訳をして、自分を甘やかしてるだけじゃないか。
人の批判ばかりして、愚痴ばっかり言って。
自分は、今までの仕事を現状維持し続けている。
現状維持は衰退の始まり、と誰かが言っていたぞ。
カッコ悪すぎる。
ダサすぎる。
情けない。
そんなことをふと思って、そして「やっとここまで回復したのかもしれない」と考えた。
2019年の冬、これまでの人生で1番のダメージを受けて、その傷から鮮血が流れたままでコロナ禍を迎え、それが明けたらすぐに引越し期に入った。
あの時は、ひょっとしたらこのまま死ねた方が楽かもしれないと思ったし、それ以降の人生は義務で生きていくのだと思った。
私の人生の1番輝く期間は終わった。
次からは、義務感と共に生きる余生なのだ。
それが私に課せられた運命だと思った。
今でも、まだ、そう思っている。
罪悪感や義務感が、私の意識のほとんどを占めている。どうしたってそこから逃れられない。
でも今、誰のせいでもなく、私自身のやり残した仕事に向きあおうと思えるということは。
少し傷が癒えて塞がったから、もともとのライフワークに意識が向けられるようになったのかもしれない。
そんなことを考えている。
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