ohno_3

ご無沙汰しています。
文章を書くのは嫌いではないのですが、初めは忙しさを理由にしたりと返信が遅れ、書き出したものの人と交換するほどの情報が乗せられるかどうかなど考えてしまい、案外忙しくなくても難しくて、すっかり返信に手間取っていました。
ここは初心に帰って、日々の出来事を基に書き起こそうと思います。

といってまずは複雑性、文字のニュアンスもさることながら、とてもいい響きですね。文字には表音文字と表意文字の2種類があるそうですが、そのどちらに当てはまる言語だろうと語感がいい言葉ってついつい使いたくなっちゃう気がします。関係性の美学とか、レガシーとか、3密とか。ついつい使いたくなりました。

そして自分の作品の話ですが、
前回の展示は、名古屋芸術大学の助手展という枠組みでの展覧会でしたが、ぼくが出品した作品は、個人的な物語(もはや誰も知らない祖父の物語)と、おそらくほとんどの日本人が知っているであろう昔話(金太郎)を対比した2つの作品で構成していました。
とても簡単にですが、この2つで構成していたイメージとしては、とても有名な金太郎の物語を入り口に全く無名な個人の物語に焦点を当てていくつもりでした。しかし残念ながらこれらの作品に関連性は見出しづらく、それぞれが独立した作品になってしまっていました。とても改善の余地ありです。今のぼくにはこの2つを明確に関連づける技術がありませんでした。
ただ、それぞれの作品については、これからもっと掘り下げていきたいテーマというものが見えてきたように思っています。特に個人的な物語の方です。こちらは元々大学院の時に行っていたリサーチを基にしていて、修了制作でも同じ主題を扱い展示していましたが、その時は「記録を残さず消えてしまった人々について、我々は一体何を知ることができるのか」というテーマを設け、できるだけ詳細に展示するように心がけていました。しかし当然ながら、記録を残さずに消えてしまった人物なので、詳細さにも簡単に限界が来てしまい、そこを乗り越える知恵もなく、なかなか納得できないものになってしまっていたのですが。。
そこで今回の展示では、わからなかったことを素直に受け止めることとしました。もっと言えば、調べてわかったことと同じように「分からなかった」ということも大事にしようと努めました。スマホで調べ物をしたらなんでもわかりそうな時代だからこそ、いろいろ調べてみたけどわかんないこともある、けどまあいいんじゃない?という居直り方が性に合ったのかもしれません。ひとまずこの考え方は自分にとって収穫でした。

最近の出来事ですが、昨日は学生と一緒に愛知県のギャラリーを4箇所ほど回るツアーをして、今日は3年ほど前に知り合ってからずっと友達の森くんとスキーに行きました。
そして2日ともぼくは遅刻してしまいました。2日とも寝坊です。昨日(2/12)は10:00待ち合わせなのに10:10に起きてしまい、起きた瞬間に夢であってくれと祈ったものの、やはり夢ではなく。道中は申し訳なさの極みでした。今日(2/13)は約束の時間から30分ほど遅れて着いたのですが、森くんも寝坊をし、そこからさらに30分ほど遅れたので、今日は黙っていました。
昔からどうにも時間にルーズなところがあって、なかなか治らないというか、治したいとは思いつつ、この性分のようなものを20年以上変えることができず、2日も続けて遅刻してしました。

そんな日の前の日に当たる一昨日(2/11)は、オリンピック組織委員会の森会長が辞任されました。ギャラリーへ行く道中でもその話をしていました。女性蔑視と取れる発言をして〜、という経緯からですが、オリンピックについて大して興味も関心もなかったくせに、不祥事ばかりウォッチしてしまう自分の野次馬根性に辟易としつつ。ただ今の価値観と昔の価値観は当たり前のように更新されていて、昨日の常識が今日の非常識とまでは言わないものの、数十年も経てば、男女関係にかかわらず人間同士の関わり方は大いに変化していているようです。
ただ不謹慎かもしれませんが、きっといつか自分もおじいちゃんになり、ぼくもいつか「だからおじいちゃん、それは古い考え方なんだって」なんて言われてしまう日が来るのかもしれません。それを想像するとなぜだか笑えてきます。
果たして寝坊グセすら変えることができない自分が、世の価値観の変化についていけるのでしょうか。できれば共存したいのですが。笑

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