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湿度が高いと少し不快。少しの汗もちょっと不快。でも思いっきり汗をかいちゃえば、案外、気持ち良かったりする不思議。

昔は推理小説の犯人が途中でわかると、読むのをやめたくなったりしてたけど、最近はそんなところじゃないんだよね、本っていうのは。と、最後まできちんと文章を読むようになった。ストーリー以外の部分で、思いもかけず感動したり、上手いなと思ったりして、そうか、だから小説家という職業についている人なんだなあと、感心したりする。

ずっと前(この手の本はあんまり読まなかったりするのだが)マルグリット・デュラスの自伝的なお話だって言うし、映画化されたこともあって、愛人/ラマンを読んだ。書き出しが印象的で、最初の一行でこの本を読み終わった気がした。
「18歳でわたしは年老いた。」
読み終わった後でも、デュラスはこの一行を書くためにその後の文章を綴っていったのではないかとも思った。

映画で主人公を演じた、ジェーン・マーチがいい。子供と大人の間で揺れ動く時期の少女そのままに、儚げなのにしたたかなで、愛なんて知らない、恋をしたこともない、ただ、目の前の生を生きていくだけ。始まりの船上でのシーン、華奢な体にサイズの合わない少し大きめの麻っぽいシンプルなワンピースと、背伸びしたヒールの、あまり新しくない靴、おさげに被ったカンカン帽、そのおさげを揺らす不透明なベージュのメコン川の風。
映画の方もあのシーンだけで、映画を見終わった感じがした。多分、その後の展開を見て、本当はあの船上のシーンのままで終わって欲しかったのかもしれない。
彼女はあの少女のまま、背伸びもせず、大人にならず、あの頃の少女が持つ特有のバランスを抱えたままでいて欲しかったのかもしれない。愛を知る前の少女のままで。もしかしたら見る世代によって、感想にギャップがある1番の作品なのかもしれないなとも思う。

すでに切ない。この船がたどり着く先はどこ?

クリスチャン・ベールが「太陽の帝国」に出演した時、映画の最初と最後の方で、彼自身でさえ変わったのではないかと思ったことを思い出した。
両親と逸れて、過酷な環境の中生きていかなくてはいけなくなった少年。出会いも出来事も、彼に早く大人にならなくちゃいけないと急かす。だけど、それでもやっぱり大人になんかなれない。日本の零戦が好きなジム。P-51が飛んできた時の屋上でのシーンが印象的で、今でも時々思い出す。「Cadillac of the Skies.」と呟きながら憧れを含んだ瞳で空に手を伸ばすジム。空爆シーンの中、一緒に過ごしていたローリング医師が慌ててジムに近寄ってきて伏せるように促す。興奮したジムは
話し続ける「P-51 綺麗だ、僕は触った。オイルと火薬の匂いを嗅いだ。」と。
いろいろな出来事を彼なりに消化しつつ、過ごしてきたのだと思われていたのに、ジムはもう、本当は自分のことすらわからなくなっている。
日本軍の滑走路作りを手伝ったジム「僕も死んだら他の人と同じように滑走路の下に埋められるんだ。」と言い出す。ローリング医師は「あれは日本軍の滑走路だ、あんまり考え過ぎちゃいけない。」とジムを抱きしめる。ジムは映画の中で初めて涙を流しながら言う。「もう両親の顔を思い出せない。お母さんとブリッジをしたのに・・・お母さんが髪を梳かすのを見ていた。」と。

P-51 マスタング 開発から半年で初飛行。
マーヴェリックも乗っていた。あ、トムね。

2人は映画の中で、少し大人になる経験をしてしまったのかもしれないなと思う。
役者さんという職業の彼らは、そうやって私の心に残り続ける。何はともあれ、すごいことだと思う。

今日は蒸し暑い。曇り空で湿度が高い。クーラーをつけようと思ったけれど、なんとなく、本当にめずらしく、窓を開けままこの不快な空気をそのままにしておこうと思った。それが自然なことのような気がして、ままならないことをそのままに過ごしてみようと思った。そうしたら上の2本の映画を思い出した。
東南アジアの夏はもちろん暑いけれど、日本ほど湿気を感じないので過ごしやすい気がする。というか、もう暑かろうが汗かこうが、それがなんなんだっていう感じで過ごせる。ホテルの石造りのひんやりとした日陰がものすごく気持ちいいのも、そんな外の環境のおかげだし、スコールが降っても「あー気持ちいい!どんどん降っちゃえ!」くらいでやり過ごせる。もちろん私は少しだけそこに滞在する部外者だからなのかもしれないけれど。でも、東南アジアへの旅行は、ほとんどの時間は楽しいのに、時折ふっと切なくなる。いつもそう。どうしてだろう。笑わないでね、もし死後の世界があるとしたら、なんだかそこに一番近い気がしてくるんだよね。背中合わせっていうか。上手く言えないから忘れてください。

I am sorry and You are sorry.
湿度も温度も不快も快適も、全部大切な感覚なんだなとちょっと思った。

雨が激しく降った時、アメリカ人の若者に、Cats and Dogs と言ったらキョトンとした顔をされた。ちょっと年配のアメリカ人に同じように言ったら、ちゃんと通じた。いや、深い意味はない。スコールって書いて思い出しただけ。



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