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彼女の太陽は水面の上にのっかってた。

散歩中にすれ違ったお母さんと4歳くらいの女の子が、太陽について話してた。
すれ違いざまだからその前の会話はわからないけれど、
女の子は「眩しいねえ」と、お母さんに。
お母さんは「太陽は空のずっと上の方にあるから」と、女の子に。

すると女の子は、立ち止まって怪訝そうな顔でお母さんを見上げた。そして、
「太陽はそこにあるよ」と言いながら、池の水面に写る太陽を力強く指差した。

お母さんはそれを見て「それは太陽が反射してるだけよ」と可笑そうに笑った。
でも女の子はお母さんと手を繋いで歩いて行きながら、納得してなさそうに随分と水面の太陽から目を離さなかった。
いいよそれで。それが君の太陽だ。
ちょっと釈然としない真剣な表情が可愛くて、誰がなんて言ったって、自分なりに思ったり感じたりしたことを納得いくまで考えたらいいよ。
なんかいいな。そう思った。

大人になったら、常識外れな事を言ったりしたりすると途端に変人扱いされたり、煙たがられたりするけれど、作為のない無邪気ならそれはそれでいい。
策略的に無邪気を装ってる人間は嫌いだけど。

いつぐらいから自分の意見を素直に言えなくなるんだろう。
笑われたり、馬鹿にされたりするのが嫌だと感じ始めるのは、いくつくらいになってからなんだろう。

恥ずかしいっていう気持ちがあんまりない。
いや、だからといって恥知らずというわけでもない。若干、意味が違うか。

でも、色々と思い起こしても恥ずかしいっていう感情があんまりないのは確かだ。
実はパンツが見えても別に恥ずかしくない。
言葉に語弊があるかもしれないから説明すると、わざとじゃなくて、もしもたまたま見えちゃったとしてもって言うか、不可抗力でっていうか、万が一そういう事があったとしてもっていう想像をしてもっていう意味。
周りの人には傍迷惑だろうけれど、別に大した事のように思えない。
もちろん自分から見せたりするような危ない奴でもない。
パンツなんて大体みんな同じようなものだと思うし、時々、盗撮とかする人が捕まったとかいうニュースを見るけど、なんでスカートの中を見たいのかわからない。
スリルと好奇心なのかなあ。
だったらきっと世間一般の女子がみんなパンツ丸出しで歩くのが普通の世界だったら、自分の人生を賭けてまで、写真なんか撮りたいと思わないんだろうな。
馬鹿だなあ。そんなことで仕事無くしちゃったりする人もいるわけだから、おかしなものだ。見えないから見たいって思うのかなあ。まあ、いくら考えてもスカートの中をこっそり見たい人の気持ちなんてわかんないか。

それに、恥ずかしいっていう気持ちが先に立って、もったいない感じになってる事もありそうな気もする。
わからない事があると恥ずかしいとか、間違っちゃったら恥ずかしいとか。

わからない事も、間違う事も当たり前だから、全然恥ずかしいなんて思わない。
何でも聞くし、間違っちゃったとしても繰り返し間違わなきゃいいんだし、誰かが教えてくれたらありがたいし、別になんて事ない。
だって、どっちにしたって、わからない事なんかないって人にも、間違った事がないって人にも出会った事ないし、そこまで頭いい人なんて見た事ない。

ある事に天才的に詳しくても、それ以外の事は全然ダメって人にはあった事あるけど、その人だって、別に自分に不得意分野があることを恥ずかしいなんて思っても感じてもなかった。
ただ、自分の不得意分野に関しては「教えて」って言ってくるだけ。
知らないとか、出来ないとかも、恥ずかしいっていう感情とは結びつかない。
どっちにしたって、元々そんなに頭良くないし。

あの女の子が水面の太陽を力強く指差しても、恥ずかしがる必要もないし、別に間違ってるわけでもない。
自分の目線のいちばん近くにある、あまりにも眩しくてキラキラした水面の太陽が「眩しいね」って彼女に言わせたんだから、それが彼女の太陽でいいんだ。

ウォーキングの途中でちょこっと走ってみたが、やっぱり1曲で心拍数爆上がり。
大体「軽い運動は続けて下さい」ってのび太(私の主治医)に言われてるけど、ジョギングって軽い運動のうちなんだろうか。
今度聞いてみよー。

ま、どっちにしろやってみたいからやっちゃうんだけど。
おまけにもうシューズとかウェアとかネットで色々見ちゃってるし。
外側から決めてみたら、今よりうんと早く走れるかも。

どうしよう、来年ホノルルマラソンに参加してたら。へへ。







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