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優雅な生活が最高の復讐である。復讐という言葉に含まれた甘美なジレンマ。

読み返した本。Calvin Tomkins の LIVING WELL IS THE BEST REVENGE「優雅な生活が最高の復讐である。」

この本は、1920年代、ジェラルド・マーフィーとセーラの夫婦にインタビューした実話として、この夫婦とピカソやヘミングウェイといった人々との交流や、2人のライフスタイルに関する話を中心に書かれている。ジェラルド・マーフィーは、実業家でもあったが、本質的には画家だった。現存する彼の作品はホイットニー美術館やダラス美術館で見ることができる。描いている最中より、幾分後年になって認められた画家だ。彼とセーラの生活はスコット・フィッツジェラルドの「夜はやさし」のモデルになっていると言われている。

タイトルの言葉はスペインの諺。

作家がジェラルドに、「どうして絵を描くのをやめたのか?」と聞いた時、彼は「自分の作品は一流じゃないと気づいたんだよ。」といった。
「それに、二流の絵ならこの世に溢れている」と。
「死ぬ前にいつか、世界に見せられる絵を一枚は描きます。」とも。

ずっと見ていられる石畳。

ギャラリーに来る作家を見ていて、時折、思うことがある。才能とはなんなのか、努力とは実を結ぶものなのか、はたして作家たちにとって実を結ぶとはどいう状況なのか、そして実を結ばなければいけないのか。

通っていた歯医者のおじいちゃん先生から聞かれたことがある。
「いい作家はいますか? 最近、作家自身が前に出て目立つことを好むようになったように思います。私は、ただ、純粋に作品だけを描いて、自分と作品に向き合い続けて・・・そういう作家に会いたいです。そんな作家がいたら教えてください。まだ今は売れていなくても、そんな作家がいたら応援したいと思います。」と。
次の診察の時、私は作家の名前を書いたメモと少しの資料を渡した。そのメモにはたった一人の名前しか書けなかった。まだ今はそんなに売れていないたくさんの作家と会ってきたのに、その作家しか教えることが出来なかった。
時代が変わると表現方法も変わっていく。どれがいいとも言えないけれど、あなたの言いたいことはわかります。私もそんな作家が好きです。

作家によっては、個展の時にしか作品を制作せず、新作よりも、今まで作った作品を手を変え品を変え展示する数の方が多い作家もいる。版画作家などでもエディションを決めておきながら、版をレイエ(版画作品は複数枚作ることができるが、分母と分子で作品数を決めたら、それ以上の版画作品を世に出してはいけないことになっている。時々、分子の数字が若い作品の方が価値があるなどと言う人がいるが、分子の数字は作品の価値に全く関係ない。レイエとはその版を使え回せないように破棄する行為。)せず使い回す作家すらいる。

そういう作家を見ると、環境や状況がどうだったとしても絵を描かずにはいられない、ただ絵を描いていたい。なんて感じはないのだろうなと思ってしまう。最近では、それらしくしていれば何がしかの小さな対価を得る事も出来るのだろう。そのせいなのか、元から持ち合わせてないのかはわからないけれど、作品にも自分にも心にも猛烈な飢えを感じないのだろう。

そのいろいろな意味での「内なる飢え」をなんとかしたくて、抱えきれなくて、外に出さずにはいられなくて何かを作り出すということが、制作につながるのではないのか。そういう考えは、もう今風ではないのだろうか。
それでも実際、色々な作家に会ってきて、プロとして絵でご飯を食べてますという作家達は、そういうスタンスの人が多いと私は感じている。
時代は変わるとはいえ、私の中での作家や作品に対するスタンスは、古風だと言われても変わることはない。
おじいちゃん先生の言いたいこともわかる気がする。

イタリア オルビエートで出会った微睡む猫たち。優雅だ。

ジェラルド・マーフィーに話を戻そう。
恵まれた資産と、オシャレな生活。天才に近いアーティストたちと過ごす避暑地での夏。それは、彼にとっての日常だっただけで、他の人がいう優雅な生活だったとは思っていない。この本の中でも優雅な生活とはお金を贅沢に使うという事ではない。と彼らは言っている。とはいえ、他の人から見たら十分使っているのだが。

彼は結局「死ぬ前の一枚」を描けないまま死んで行った。
そうして、こう言ったそうだ。

「絵をはじめるまでは全然幸せじゃなかった。絵をやめざるをえなくなってからは二度と幸せになれなかった。」

周りがうらやむ生活をしていたはずなのに。

でも、この台詞は寂しいだけの言葉じゃない。だって、絵を始めてからやめるまでの時期は少なくとも彼は幸せだったんだって思えるから。何に復讐するのか言葉尻をとってもしょうがないが、一生のうち、幸せだったって認識できる確かな時間を持てたのだから、彼の復讐は成功したんだと思う。

優雅な生活が最高の復讐である。

あなたにとっての優雅と私にとっての優雅とジェラルドにとっての優雅。そうして、フィッツジェラルドにとっての優雅。違っていて当然だと思う。

1962年、ピカソが2人に知り合いづてに伝言を送った。

「セーラとジェラルドに、元気だ、と伝えてくれ。億万長者になったが、すっかりひとりぼっちだよ。」と。

そう、ピカソも優雅だったに違いない。

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