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美味しい大根と、美味しくないりんごって同じレベルな気がする。

2-3日前に買った大根がむっちゃ甘くて美味しかった。
この間行った定食屋さんで久しぶりに食べた豚汁が美味しかったから、作っちゃおーと思って大根を切ってたら、なんとなく、なんとなくね、瑞々しくていい香りがした気がして、切ったかけらを齧ってみたらすごく甘い。
うまっと思ってもう一個齧って、生で食べても甘くて美味しい事を再確認して、急遽豚汁に入れる以外にシンプルにスティックにして食べた。

美味しい大根と、美味しくないりんごって同じレベルな気がする。
どっちもにか誰かにだか失礼だったら謝るけど、ただの私の感想です。

なんでも美味しい大根は尻尾が丸いらしいと、その話をもう1人のデザイナーの人に話した時言ってた。っていうか、なんでそんなこと知ってるんだろう。それって世間的な常識ってことなんだろうか。トマトもみかんもヘタの方を下にして保存する方がいいっていうのとかと同じで・・・。へぇ、今度大根買うとき見てみよう。

人間として同じように日々を過ごしている風に見えて、同じようなグッズで情報を収集できる状態にあっても、どうしてあんなに次から次へと素敵なものを見つけて教えてくれる人がいるんだろう。なんていい時代だ。
本当に嫌な事にさえ使わなければありがたい世の中になったもんだ。

夜中に1人で日記を書いたり明日のことを考えたりしてる時、最近教えてもらった(っていうか勝手に見てるだけなんだけど)ピアノのアルバムを聴いてると、今日1日がいい終わりを迎えて、きっと明日もいい日だろうと思えてくる。
ピアノ曲っていってもシンプルで、それでもどこか確実にピアニストの心が映り込んでて、景色が浮かんでくるような曲。

前から不思議に思っていることがあって、一応ギャラリーなんぞに身を置き続けてる人間として、プロからアマチュアまでたくさんの作品を見てきたわけだけれど、上手な絵を描く人なんていくらでもいる。
テクニックにしたって色の使い方にしたって、最終的なまとめ方したって。
だけどいい絵を描ける人はやっぱりそんなに多くはない。
違いは何?って聞かれても、見たらわかるとしか言いようがない。
これは生意気に驕って言ってるわけではなくて、そういう表現しか出来ないから。

昔から義務教育なんかで美術や音楽の時間があって、それに点数をつける先生が信じられなかった。
どこを見てつけるんだろう?って。
感性なんて人それぞれだから何を基準に点数をつけるのか、音階の的確さなのかリズム感なのか、トルソーの光と影が上手に出来てるのか、それか単に先生の好みなんだろうかって。
点数つけなきゃいけないの、大変だっただろうな。

私は絵は上手くない。はっきり言って苦手だ。でもデザインとかバランス感覚とかにはちょっとばかり自信がある。コンセプトを考えて出来上がったものを見た時「よしこれでいい」っていう物が作れるから。

でも、イラストとかふざけた絵は描けても、真剣に自分の心の中から表現したい絵を描こうとすると、出来上がったものを見て残念でならない気持ちになる。
「こんなの、絵じゃない」って。
私が好きだと思ってるいろんな作家の足元どころか、なんならその足元を1mくらい掘り下げなくちゃいけないレベル。
だから、他人の絵にだけ厳しいわけでもない。

インテリア絵画やなんかは作れても、作品は描けない。
心の中の情景や思いを表現する力も何一つ持っていない。
インテリア用に描いたオリジナルの作品は、今まで全てお客様のところに旅立っていった。一枚も残っていない。
でも、それはお客さんと話してて「こんな感じのものがいいんだろうな」ってわかるだけで、ただのバランスの取れた当たり障りのない、いい感じのデザインであって、本気の絵でも、いい絵でもない。

だから私は画家にはなれない。とても無理だ。

今思うと、普通の先生は上手な絵を褒めていたんじゃないかと思う。
小学生、中学生にしては上手にデッサン出来てるトルソーとか、光が溢れて見えるようでなんだか大胆に切り取られたように見える緑の木々とか、元気よく遊んでいる子供たちを、なんとなく絵の具のはみ出した勢いで表現したように仕上がった絵とか。中にはもっと研ぎ澄まされた感覚で見ている先生もいたかもしれないけれど、私が見たことがある美術の先生はそんな感じがした。

写真も音楽もそうだ。どんなに入り組んで計算し尽くされた構成でも、とてもシンプルな物でもそんな事じゃなくて、多分、それらを見て聴いて感じて、心のどこかにさざ波が立たないと、すぐに忘れ去られる物でしかない気がする。

それこそSNSとか見てると、絵を描く動画とかがたくさん出てきてみんな上手だ。色と筆を駆使して、いとも簡単に美しい景色や花なんかを仕上げていく。
でも、それだけだ。上手に描くもんだねとは思うけれど、多分、その絵が壁にかけけてあっても、ふと立ち止まって眺めたりしない。

もちろんそうじゃない物もある。
ただ、作家が描いた自分の絵をなんの解説もなく載せてるだけで、有名な作家でもなんでもないのに、しばらく眺めてしまう絵に出会うこともある。
それが絵を描く動画と同じようなモチーフの景色を描いたものでも、花を描いたものでも。

大根でもりんごでも、見た目は大して変わらないのに、当たり外れがあるのと同じだと思う。ただ、当たり外れの基準は人それぞれで、甘くなくて硬い大根が好きな人もいれば、しゃりしゃりした柔らかいりんごの方が好きな人もいる。

私の基準もそんなもんだ。
だけど、その基準が揺らぐこともないし、だからといって望まない人にそれを押し付けることもしたくない。

お客様が私のセンスが好きで「リビングに飾るとしたらどの絵がいいかしら?」とか「こうこうこういう人に、プレゼントしたいんだけど」とか聞かれたとしたら、全力でその人の希望を叶える自信はある。
そしてそういう時も「上手な絵」ではなくて「いい絵」を選ぶようにしている。

絵は誰にでも描ける。紙とペンさえあってそれを持てるようになれば、赤ちゃんだって文字より先に絵らしきものを描く。
ただの丸のパパだったり、にっこり笑ったように見えるママだったり。

誰にでも簡単に出来ることを芸術の域に持っていくのだから、難しいに決まってる。






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