やってみよう精神。やらせてみよう精神。

 子ども達はやりたがりです。隣の子が新しいおもちゃを持っていると、直ぐに欲しがったり、大人が何かをやっていると近づいてきて『やりたい!』という姿を頻繁に目にします。個人差はあれど小さな子ども達は基本的にはは好奇心旺盛で、新しいことに挑戦したがるという性質を持っているように感じています。
 ある調査では、新入社員に求めるモノの1位に『積極性・意欲』が上げられていますが、これが先輩社員が求めていると同時に不足してると感じている現れではないでしょうか。

 では好奇心旺盛だった子ども達の積極性は、一体、どこで失われてしまっているのでしょうか。

出る杭は打つ日本の文化

 ”出る杭は打たれる”と言われるように、目立つことを美徳としない日本文化においては、年齢を追うごとに積極的な自己アピールが敬遠されるようになる傾向があります。特に思春期以降は、仲間内でのパワーバランスを考慮しながら行動することが求められるようになり、『自分が何をしたいか』よりも、『ここではどう立ち振る舞うべきか』が、行動の判断基準となってきます。これによって、日本人特有の協調性や組織としての調和は保たれるわけですが、個人の成長の弊害ともなりえます。

大人が子ども達の挑戦を妨げる。

 文化的背景以外に積極性が奪われる大きな要因の一つが、大人の関わり方にあるように感じています。
 特に小さな子ども達はとても可愛く、日々接していると守ってあげたるなる気持ちが強くなります。赤の他人の子ども部屋おじさんですらそうなのですから、自分の子どもを育てる親や、子育て中の方、子育てを終えた方々はその思いは私以上に強いことでしょう。この子ども達への純粋な思いは、温かく成長を見守るために必要な要素である一方、時に、子ども達の成長を妨げることにも繋がりかねません。

成長よりも安全が重視される子育ての現場

 例えば、ある幼児が机によじ登ろうとしています。
 多くの場合、その子を止めて『ダメだよ』と注意することでしょう。
 これは、子どもの安全を考えれば当然のことですが、他方では、貴重な運動の機会と”高い所に行ってみたい”という欲求が失われたとも考えられます。もちろん、机に登ることを許して習慣化してしまうことは非常に危険ですが、安全な台を用意したりなど、”登りたい”という欲求を別の方法で叶えてあげることで、運動能力を使う機会を確保し、好奇心を満たすことは可能です。
 他にも”はさみを使いたい””料理をしてみたい””電車を近くで見たい”など、危険が伴うものほど、子ども達は興味を示し積極的に行動しようとします。これらを”危ない”という理由だけで止めてしまっては、子ども達の好奇心は削がれるばかりで、成長のためには、安全を確保した状況で挑戦する場を作ってあげることが大切なのではないでしょうか。

自由に挑戦出来る場を作る工夫

 子どもは基本的に好奇心旺盛で、何でもやってみたがります。
 そして、やってみることで得た経験値が成長の種となるわけですが、その挑戦の機会を大人が奪ってしまえば、単に畑に肥料だけをまいて、成長を願っているのと同じ状況なのではないでしょうか。種=挑戦の機会を安全に確保していくことが、子どもの成長に関わる大人の大切な役目だと思います。 
 そして、そのためには大人の危険を見抜く力も大切になってきます。少し擦りむいたり、指先を切った位で生活に支障はなく、これは大人も子どもも同じです。一方で目の前にある危険が命に関わるようなもの=踏切に進入する・窓から飛び降りる・・・であば、即座に対応しなければなりません。しかし、躓く可能性があるからと抱きかかえたり、進行方向にある石を退けたりしてしまっては、子ども達から石を避けたり、擦りむいて痛い思いをする経験の機会を奪ってしまいます。
 人間は挑戦と失敗を繰り返して成長します。これは大人も子どもも同じで、挑戦の機会や失敗の機会を奪われ好奇心を失った子どもが、大人になってから色んなことに挑戦するのはきっと難しいことでしょう。
 子どもが目の前で失敗したり、痛い思いをしているのは、こちらも胸が痛みます。しかし、大人がその場の痛みを回避したいがために、挑戦の場を奪ってしまえば、子どもは生涯において大切なものを失ってしまう可能性があります。だからこそ、子どもに関わる大人は自らの不安を排除しながらも、子ども達が好奇心の赴くままに、安全に挑戦出来る場を作ってあげる工夫をしていくべきなのではないでしょうか。

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