Rewrite 二度と書かない私の事
私は”年季”の入った自称◯◯障害者でした。
おそらく十代の頃からです。
まだその頃は「障害」という言葉は使っていませんでしたが、意識は同じです。
初めて自殺を思いついたのが中一の時です。
その頃から頭痛に悩まされるようになり、大人になっても続いています。
太陽に10分も当たると強烈な頭痛が起こる時期もあって、外出も非常に困難になりました。
話を本に移しますが、冒頭からいつものすずめさんらしい口調ではじまり、そして力強く走り出した今回の本は、思いの外、私の体中に新風を吹き込むことになったのです。
小さい頃の私は自己主張する子でした。
当時は叔母や母の仕事柄、洋服を手作りしてもらう事も多かったのですが、ほんの一部分とはいえ、自分でデザインしていました。
ある時は、せっかく私がアイディアを出したのにもかかわらず、子供にはこの方が可愛いからと勝手にデザインを変えられてしまい、私はその服に一度も手を通すことはありませんでした。
まだ幼稚園に入る前の出来事です。
その時の感情を今でも覚えています。
また、その頃は自分で床屋へ行って男の子のように髪を短く切ってもらったり、およそ1年間くらいは洋服ではなく着物を着て過ごしました。
両親は、これでは学校へも着物のまま行きたいと言い出すのではないかと、心配していたそうですが、いざそうなると私も自分の判断で着物を脱ぎました。
世間を知る前の私は自分自身に満たされていたのです。
幼稚園に通い出した頃には私は既に自分に自信を持てなくなっていました。
異常なまでに慎重に周りの子供達の行動が気になるのです。
初めてのプールの日、みんながどんな水着を着るのか気になって、その日のプールは休みました。(一度、下見してからじゃないと不安だったのです)
その理由もきちんと親に伝えていました。
小学校入学と共に、私は最初のつまづきを経験したのです。
受業中、気が散漫で何も頭に入らないことが多かったのです。
それからは今に至るまで、自分だけがおかしい、普通じゃない、うまく生きられない、もしかしたら私には発見されない妙な病気があるのかも知れないと自ら考えるようになってしまいました。
10歳の時、もうだめだと自暴自棄になりました。
周りのみんなにはついていけないと自覚したからです。
みんなが楽しんでいることがくだらない事に感じ始めたからです。
その頃から体重は増え始め気がつくと肥満児になって、そのまま中学生になりました。
当時は完全に自分を見失って、ツラいだけの人生を送っています。
しかし、十代の後半からは自分の世界を見出して、新しい仲間やパートナーと生活することで、いろんなことを経験しました。
運よく周りの人たちからキッカケをもらって、外国に行き始めたのもこの頃です。
それは私に火をつけ、自分らしさを最も発揮できる瞬間の連続でした。
そして第二のつまづき、体調の変化と大病です。
精神的苦痛をなんとかしようと、藁をも掴む思いでかき集めた知識のせいでノイローゼ気味、親友の裏切りなどもあって、上手くいかない自分の人生を呪っていました。
この頃からいよいよ自分の不幸を他者のせいにし始めます。
私の人生はこんなはずじゃない、こんなことのために生まれて来たのではないと毎日泣き暮らしました。
実際には泣いていませんでしたが、そんな心持ちだったのです。
本気で自分には病があるのかもしれないと悩み、落ち込んだのは、社会に出ると明らかに他の人々より私は劣っていて、私なりに普通にやっていたのでは追いつかないからです。
物を数えられない、常識が理解できない、人付き合いが嫌い、友達ともしっくりこない、異性に依存し過ぎ、嫉妬深く、時に仲間外れ、一人が好きなわけでもないのに一人ぼっちになりがち、引っ込み思案、自信なし。
自分をどうにかしようと懸命に努力をしていましたが、何をやっても成果は出せず、なぜかあと一歩という時に毎回つまづくのです。
当時はまだ現在のような発達障害という考え方を知らなかったので、ただ病気、或いは欠陥と呼んでいました。
私は何がほしいというわけでもなく、ただ、自分の人生を生きたかっただけなのです。
一見、私は普通の人で、ただの怠け者扱いをされていましたが、度を超すと、やはり相手も私を障害者扱いしていたようです。
これはマイナータイプの統合失調症とも似ています。
妄想、幻覚、幻聴などがない方です。
周囲の人がいつも私について思っていたことは、
何がいけないんだろう?
どこに問題があるんだろう?
普通に見えるけどね、
丈夫そうだし、
しっかりしているし、
賢そうだし、、、。
他人からの見え方は私が身につけたふりをすることで必死にたち続けていたからだと思っていましたが、ふりではなく私自身なのです。
なのに、心中は、、、だめなんです、わからないんです、できないんです、、と困っていましたが、これも私自身なのです。
現在もふたりの私が共存しています。
冷静に考えると、私の生き方は普通ではないので他人から異常だと判断されるのは当然です。
そして無意識に自分は何かの障害があって普通ではいられなく、決して乗り越えられないと信じてしまったのです。
ただそれは世間との折り合いが悪く、自分を好きでいることの方が苦しくなってしまっただけでした。
そして私は世間ではなく自分を捨てました。
無意識の私はとことんこの私を傷めつけました。
過食嘔吐で虐め抜きました。
そして今、自分を捨てたあの時から無意識的にわざと病気でいることを選んでいたことを認めています。
慣れ親しんでしまった過去からの自分と離れたくない自分も認めています。
冷酷な世間(家族・友人含む)から見捨てられたと復讐心を抱いていた自分のことも。
本当は八つ当たりしていただけで、自分を捨てた自分自身を許せなかったのですが。
ここまで書いてきたことが生きづらさの原因だといいわけしていました。
本の終盤ではわけもなく涙が溢れて、声を上げて泣いていました。
長い間、吐き出せなかった毒を吐くように、自分への問題意識が薄れて行きます。
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