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プリンセス #春ピリカ応募

誰かがわたしをそっと抱き上げた。
温かい腕のぬくもり。
いい匂いがする。わたしの目はまだ閉じられたままだ。
焼きたてのパンのような、オレンジの爽やかな甘酸っぱい香りがふわっとわたしを包む。
わたしの耳元で誰かの声がする。
わたしの可愛い娘よ。
愛する娘。
きみをずっと守っていくよ。
わたしの目はまだ固く瞑っている。
暗い暗い闇の中にいたのはほんの少し前だったはず。


わたしの後ろにはいつもたくさんの指がある。
それをうしろ指と呼ぶことをいつからか知った。
ママはいった。
いい?わたしはパパと愛し合ってあなたを授かったの。それは素晴らしいことよ。
誰がなんといおうとそれが真実なの。
だから胸を張りなさい。
あなたは愛されて生まれてきた子。
生まれてからずっと愛されてきた子。
自分に誇りを持ちなさい。


わたしはうしろを振り返るのをやめた。
見なくてもたくさんの指がわたしの背中に刺さっているのがわかる。
街を歩いていても、学校でも、お店に入っていてもどこにいようとうしろから指を刺される。
それらは言葉より雄弁だ。
ほら見て。あの子。
またひとつ指が増えた。


時々、背中がむず痒くなる。
そろそろ耐え切れる重さではなくなったサインだろう。
痛みはないが、刺さった指はもう抜けない。
服を脱ぎ鏡に映してみる。
わたしは息を呑んだ。
指が千手観音のように背中から流れて床に落ちている。
うしろ指がこんなにも美しいものだとは知らなかった。
さまざまな指の形。
太く無骨なもの、細くてよく手入れされたもの。マニキュアが施されたものは散りばめられた宝石のようにきらきら光る。
白いもの、黒いもの、茶色いもの。
指の色だけでもこんなにも多種多様なのか。
男の指、女の指、子供の指。
それらが羽根のように幾重にも重なり合って床に流れ落ちている。


わたしは鏡の前でターンする。
わたしの身体のまわりを羽根達がうしろから踊るように廻る。
楽しくなって笑うと指達も楽しげに震えて揺れる。
うしろ指はわたしの歩く道を指し示すことはない。何も決めたりはしない。
こうしてわたしの歩く跡を美しく彩るだけだ。


外を歩くとヴェールのように長く長くたなびき揺れてアスファルトの上を引きずられていく。
昔テレビで観たどこかの国の戴冠式のようだ。
赤い絨毯の上を歩くようにどこまでも伸びる道を歩く。
わたしはプリンセス。
自分の王国を治めるのはわたし。


地鳴りのような歓声が聞こえる。
わたしは夢から醒めるようにぼんやりそちらを見る。
よかった、素晴らしい。パーフェクトだ。
人々の声、熱気。抱擁。汗の匂い。床の軋み。
舞台袖に届くカーテンコール。
わたしは抱えられるように人々の前に立ちお辞儀をした。
背中の指の羽根がさらさらと衣擦れと共に床の上に滑り落ちるのが見えた。


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#春ピリカ応募
#指

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