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どうしてるだろう

ずーっと覚えていたはずのあの子の名前が思い出せない。
そうだ、バンリ君だった。
万里の長城の万里だ。
小学3年生くらいの時だ。
病気で入院してしまった彼にお見舞いの手紙(作分)をクラスのみんなで書きましょうという担任の先生の一言で、道徳の時間に皆が一斉にバンリ君への作文を書くことになった。


大人しくてあまり話さない男の子だった。
でもお母さんの趣味なのか、オシャレな服装をして髪型も普通の坊ちゃん刈りではなく、やや長めの前髪と後ろ髪だった。


特に親しくもなく、それほど絡んだりしたこともない。
良いも悪いもない彼にどんな言葉をかけたら良いのか。このマス目をどう埋めようか、それだけだった。
わたしは本をよく借りて読んでいたので、語彙力はあったと思う。
こんな時にはこんな言葉を使うと良いとか、なんとなくわかっていたから、陳腐だけど体裁を繕った文章を書くのは得意だった。
わたしが書いた一文ははっきり覚えている。
なぜか先生に指名されて、黒板の前に進み出てみんなの前で読んだのだ。
それはこうだった。

バンリ君のいない教室はまるで火が消えたようです。
 

読んでいて恥ずかしくなり、わたしの顔からは火が出る思いだった。つまらない文だ。
それからどうしたかは覚えていない。



タイラ君という子がいた。
お父さんがお医者さんで、後から聞いたが中学は東京の進学校に進むことになっていたらしい。
青白い顔。サラッとした髪の毛は少し量が少なくいつもぺたっと頭に張り付いていた。
女の子のようにくりっとした可愛い目。
笑うと頬の片っぽにえくぼができた。

小学6年生のタイラ君は授業中、教科書をほとんど開かなかった。
代わりにやっていたのは中学レベルの問題集だった。ちらっと見えたそのページは細かい字であきらかにわたしには理解できない数字が並んでいた。
英語だかドイツ語だかわからない外国語の文章問題も休み時間にひとりで黙々と解いていた。


かと言ってほかの子達とまったく関わらないでもなく、友達はいた。
ただ同級生と大きく違ったのは彼の筋道だった小学生離れの理路整然とした話し方だ。
勉強でもなんでもわからなくてわあわあ騒いでいるわたしたちに、静かにこうこうこうでしょ、と説明してくれた。
それを聞くと皆一同にあーそうだね、なるほどねーとなったのだった。


タイラ君がわたしの後ろの席になった。
休み時間、ちくっとかすかに頭皮を引っ張られるような痛みが走った。
えっと振り返ると、タイラ君がにっと笑っておまえの髪の毛切っちゃったと言ったのだ。
ほらこれ、と差し出された指に数本の黒い髪の毛がつままれていた。
ちょっと何してるのと大声で問うと、おどけたように少し顔を赤らめてえへへと笑っていた。
まったく悪いことをしたようなそぶりはない。
もうやめてよね、それっきりだった。
卒業式にタイラ君がいた記憶がない。
きっと東京に行ったんだろうと思った。


彼らももう50を過ぎているはずだ。
バンリ君は病気が治っただろうか。
タイラ君は医者になっただろうか。
あの作文を読んだだろうか。
どうして髪の毛を切ったのだろうか。



どうしてるだろう。
昔のことがふいに思い出されてしかたがない。
歳だからか。
そんな言葉はわたしには聞こえない。

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