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むかし、母が言うことにゃ

人から相談事をされることが多かった。
困ったことがあると何故か皆、わたしのところにやってくる。
好きな人のこと、片思いのこと、付き合ってからのこと、女の子は恋の悩みのオンパレードだった。
なんかお姉さんみたい。
聞いてもらうと安心する。 
皆が声を揃えて言った。
恋愛のエキスパートなんかじゃ無い。
いたって地味地味だったし。
およそ可愛い女子とは対角線上の位置に座っていたし。
ただ人の気持ちというものに人一倍興味があったのだ。こんな時にこんなふうに感じるのか。
こんなふうに人を好きだと思うのか。
恋愛小説を読むように、その状況を眺めているのが好きだったのかもしれない。


趣味は人からの相談を受けること。
どんな人間関係があって、どんな気持ちなのかを知ること。
そう履歴書に書いたら気持ち悪いと思われるかもしれない。


大人の悩みを聞くのも好きだった。
悩みの中にはもちろん人の感情がある。
どんな出来事があったのか、それはどんなものだったのか、それによってどう感じ、どうなったのか。


母はわりとそんなことをわたしにあけすけに言ってきた。
あんたがまだ赤ん坊だった時、縫い物の内職をしていたんだよ。
あんたをおぶって出来上がったものを持っていくんだけど、その時にいつもわたしの仕上げたものに文句をつけてきた、同じパートの女がいてね。どうでもいいようなことでいちゃもんつけてきたから腹立ってさ。
思うに、あんたが可愛かったから悔しかったんだろうね。
あの人が連れていた子供はお世辞にも可愛くなかったから。
そんなことがあったんだ。
そしてわたしのこと可愛いと言ったのを聞いたのはそれ一回きりだった。
嬉しかった。


母はパート先であったいざこざもよく話してくれた。うんうん、へーそうなんだ。
人は見かけによらないものなんだな。
耳年増というのか。
どんな人が性根が悪いのかということ、対処の仕方など生きた教科書、生きる知恵のようなものをそんな母の愚痴や話りから得られた気がする。
世間でもきっとそんな風潮があったのだろう。
テレビでもお悩み相談の番組が多かった。


奥さん、もうそんな旦那とは別れちゃいなさいよ!
みのもんたの決め台詞を毎回楽しみにしていた中学生も珍しいが、夏休みはそれを聞いては母とあーだこーだと談義し合っていた。
女と金にだらしない。旦那は浮気相手と一緒になりたい。苦労ばかりさせられて。
許せない、憎くてしかたがないが別れたくもない。
どうしたらいいのか。



母は男に手厳しかった。
だらしない。みっともない。
その男は馬鹿だねえ。
大体の悩み相談にはそんな一太刀で叩っ斬っていた。
ねえ、お母さん。
どうして別れないんだろうね。
こんな嫌な人とはすぐに別れちゃえばいいのにね。
わたしだったら、こんな人とはさっさと別れるのに。


それを聞いて母はふふっと笑った。
こういう風にね、憎いだの許せないだの言ってる時は別れられないの。
だって嫌なんでしょう?
まあそうなんだけどさ。
あのね、別れられるのは、その人のことなんとも思わなくなった時だよ。
好きも嫌いも、憎いも腹立つもなくなった時、相手になんの関心もなくなった時に初めて別れられるものなの。
だからこの女の人はこんな亭主でもこれからもたぶん一緒にいるわよ。


わたしはこの言葉に納得できなかった。
一緒にいて辛いだけならとっとと別れた方がいいのにな。
そう思っていた。


母ももういない。
だんだんあの当時の母の年齢に近くなってきた。
そうすると不思議なもので、あの言葉の真意が心に染みてくる。人との関係は嫌いだから嫌だから別れる、離れる、切れるものではないこと。
相手の言葉にも体温にもまったく心が振れなくなった時、手を繋ぐ意味を失い、隣に居ることが不思議にさえ思えた時。
なぜここにいるのか。
2人でいる意義を見失った時。
その時に別々の道を見つけられるのだと。


亡くなる前に母がふいにわたしに訊ねてきたことがある。
ねえ、あの人はあんたに優しくしてくれる?
どうして今頃そんなことを聞いてくるのかと驚いた。
うん、大丈夫だよ。
そう答えると、そう、と言ったきり黙ってしまった。
母は何かを感じていたのだろうか。
今となっては聞くことは叶わないけれど。




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