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幻の結婚記念日

わたしは22歳になったのを機に早々に式を挙げた。
早く家を出たい、ただその一心だった。
母には100歩どころか1000歩も譲歩してもらい、結婚することに無理やり同意させ敢行したと言ってもよい。

その晩、母は布団を被って泣いたという。
どうしてこんなに早く手放してしまったのだろうと、声を殺して泣いたという。
それを聞いた時に長く立ちはだかっていたわたしと母の氷山のように冷え切っていたものが一気に雪解けを迎えたのだった。


それまで母はわからずやで怖くてわたしのやりたいことにはいつもNOと言い、わたしを親不孝者と糾弾してきたも同然だった。
固い殻の中に母の真意があり、わたしには全く見えなかった。
その母を泣かせていたとは知らなかった。
そんな思いをわたしに持っていたことも知らなかった。
お互い言いたかったことを言い合うことで殻を破り、出てきたのはなんてことない愛情深いありきたりの母と子の姿だったのだ。




ああ。それなのに。
わたしは本当に親不孝者になってしまった。
死が2人を分つまで。
富める時も貧しき時も。
病める時も健やかなる時も。
その誓いを立てて四半世紀以上経ってから、わたしは再び独りに戻ってしまったのだった。


息子にはそれが決定的になることを知った時、母親であるわたしの行く末を案じて眠れなくなったからね、とまで言わしめた。
母としてなんと情けなくみっともない姿をさらしてしまったのだろうか。
息子の言葉は生きていたらきっとそのまま母が言っていたに違いない。


わたしは落ち込んでしまった。
これってやっぱり失敗にカウントされてしまうのだろうか。
ふとそんな考えが浮かぶ。
亡くなるちょっと前にわたしを案じる問いかけをしてきたことがあったから、もしかしたら母にはこうなることが見えていたのかも知れない。
わたしはその問いを投げかけられた時、急に何を言うのだろうと真意を図りかね、首を傾げたものだった。
今になってみれば、きっと何もかもお見通しだったんだろう。


あんたは今ほんとうにそれでしあわせ?


母が聞きたいことはきっとそれだったんだろう。
ひとは死期が近いと神様に一歩近づき、啓示みたいなものが降りてくるものなのかもしれない。
そういくら良いように考えてもわたしの母への罪悪感と謝罪の気持ちは少しも薄れはしない。
ただ忘れている時間が多くなっているだけだ。


婚約指輪も結婚指輪も外して家を出てきたわたし。
でもなんとかやってますからね。
持ってきた写真を前に時々今の状況や思いをつらつら話しかけているから母はきっとわかっているはずだ。
妹にはLINEでのあっさりした事後報告になってしまった。
既読は着いたが丸一日返信が無かった。
妹はきっと呆れているに違いない。
夜遅くLINEが返ってきた。



もう終わってしまったことは仕方ないよね。
言いたいことはたくさんあるけれど。
それより子供に心配かけないようにしなよ。

それだけだった。
あの子らしいよね。


ところでわたしがもう少しで迎えるはずだったのは真珠婚式だったらしい。
以前から長いパールのネックレスが欲しいなあと思っていたけど、それもおあずけになってしまった。
だってそれはもう訪れることのない記念日。


またゼロのふりだしに戻ったわたしが今度は自分の為に買うことになるんだから。


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