企業の研究職で5年働いて学んだこと

はじめに

企業の研究所ってどんなところだろう?
その仕事は大学でやる研究とはどう違うんだろう?
なんとなく研究職を目指しているけれどうまくイメージがわかない
就活の中でそんなことを考える(考えた)人も多いと思います
(私が完全にそうでした)

この note では、私がこれまで5年間企業の研究職で働いてきて感じた研究に対する考え方・価値観とそのギャップ、およびその対処法を、これまでの仕事のやり方を振り返ってまとめます


会社の研究所

そもそも会社の研究所とはどういうところでしょう?
なぜ営利団体である一般企業で研究をするのでしょう?
研究をするお金はどのように出るのでしょう?

これらの要素は実際には企業によって多少形態が異なるものなのだと思います
私が所属するのは複数のグループ会社を持つ通信会社の研究所ですが、

  • 実際に事業を行う会社からはかなり独立している(製造部門なども持たない)

  • 研究資金はグループ会社から出る(研究所は事業を行わないため)

  • 研究成果の特許化・製品化だけでなく論文発表も盛んに行われる

  • 研究領域は通信だけでなく多岐にわたる

という背景があります

入社前の属性

自分は修士(2019年卒)で今の会社に入りました
専攻は数学です

研究分野によって色々文化(研究室や学会の様子、論文の書き方など)が違うことはあると思いますが、数学もかなり特殊な文化を持つ部類だと思います
(どんな文化なのかを語る記事もそのうち書きたいですが、ここでは割愛…)

ここで強調するのは、数学の分野がいかに特殊かではなく、入社後の自分にとって研究分野としての文化・価値観の違いが大きな悩みのもととなったことです

もしかすると、元々情報系なり他の分野(特に工学系)で研究をしていたのであれば、入社後に感じる研究観のギャップはあまりなかったのかもしれません

なお、今の会社や研究職を選んだことに関しては特に強いこだわりがあったわけではありませんでした
元々博士に進もうかなとも思いつつ急に不安を感じて就活を始め、受けたいくつかの企業の中で唯一研究職で内定が出た会社に入社したという、至って消極的な経緯です

ちなみに、2019年卒なので入社後1年足らずでコロナ禍に突入した世代でもあります
自分の中ではコロナ禍が今回のトピックである研究観に与えた影響はあまりないように感じますが、気づいてない要素は何かあったのかもしれません

入社1年目 ビジネスにおける「研究」

入社すると、機械学習アルゴリズムの研究開発を行う部署に配属されました
(特にやりたいこともなかったので配属志望を適当に出していたところ、全くマークしていなかった部署になりました)

1年目はひたすら「何をして良いのかわからずただ勉強をする」日々を過ごしました
分野の教科書を読んだり、先輩が書いた論文に目を通してみたり、サンプルコードを拾ってきて実行してみたり…

自分の配属された部署では他の部署や他者との連携案件もほとんどなく、各メンバーが自分の研究をガリガリ進めて論文を書きまくっているようなところでした
自分が数年後にそんな風に仕事をしているイメージも全く掴めませんでしたが、まぁ慣れていけばやれることも色々出てくるのかなーと楽観的に考えていました

この一年をひとことで言えば「悪い意味で暇」でした
自分で研究テーマを立てろと言われるものの、やりたいこともやる意義を感じるものも特になく、手当たり次第に理論の勉強をして何かが興味に引っかかるのを待っていました
大体すぐ飽きるので数学の方での最近の発展を追ってみたり…と到底業務ではない何かをして時間を潰していました

振り返ってみれば、ビジネスにおける研究とは何か、もっと言えば課題解決とは何かがわかっていなかったと思います

数学では、例えば既存の予想を証明することが「課題解決」に相当すると思います
しかしビジネスと数学の間での違いは、ビジネス的には課題設定も自分でやる必要があることです
もう少し正確にいうと、数学においても自分で問いを設定することはもちろんありますが、「課題を設定する」ことと「それを解く」ことの重要さの比重は全く異なるように思います

ビジネス的な文脈では、社会課題を計算機などでアプローチできる問題に落とす工程が課題設定と言えますが、むしろこの工程が全てであると言っても良いくらいに重要かつ難しいです
数学では数学的な対象を数学的な問題に落とすので、その工程に関する自由度は比較的小さく、かつ解けた時の恩恵も数学的に測りやすいです
ビジネスにおける研究では、元々の社会課題の形も落とし込む先の問題の形も非常に自由度が高く、しかもただでさえ慣れていない分野なので、解けた時のインパクトの大きさを見積りにくいのです

入社したばかりの時はこのビジネス的な価値のものさしがなかったので、何から手をつけたら良いんだろうなぁと感じながら日々が過ぎていきました

入社2年目 埋められないギャップへの苦悩

1年目に感じていた違和感は、2年目でより顕著になっていきました

トップ会議に採録された論文を読んでも、何がしたいのか、何がすごいのかが全く納得できないのです
良い結果を示す新しい手法が提案されていても、数学的には自明だけど何が面白いんだろう…?と思うことばかりでした

2年目では自身の研究テーマを社内に発表する伝統的な儀式があるので、自分の中では全く腑に落ちないながらもそのイベントに間に合わせるように研究テーマをでっちあげて練っていきました

目標もよくわからないなりに半年ほどそのネタを研究していると、だんだんと
「この世界での研究というのは、技術的・理論的にどれだけ洗練されているかよりも、たとえ自明な工夫であっても何か新しいことができるようになる進展を示すことに意味を見出すものなんじゃないか」
と思うようになりました

この考えは、ビジネス的な研究に対するものというよりも工学分野における研究観なのだと思います
自分は理学的な側面でしか研究をしてこなかった人間だったので、この感覚が全く身についていなかったのでした

上の気づきは、以降の自分の研究の方向性を決めていくための重要な鍵になっていたように感じます
とはいえ、この時点では「じゃあどんな新しいことができるようになれば意義があるんだ」という疑問に行き着いてしまい、この一年もやはり悩み続ける日々から脱することはできませんでした
結局のところ、ビジネス的な価値のものさしを形成できなかったのだと思います

なお、2年間にもわたって自分が何をしているのかわからない状態が続くと、精神はだいぶ疲弊します
この時自分の救いとなったのは、同期との勉強会や交流でした
特に、応用情報技術者の試験を同期と一緒に受けた経験は非常に良かったです
(情報系の常識にとても疎いことがしばしば業務上・精神衛生上悪い影響があったので、これをカバーできたことが安心につながりました)
また、量子コンピュータの勉強会に混ぜてもらったのもこの頃でした
数学的に興味深い対象に触れる機会は、やはり自分にとって精神安定剤に近い作用を持つんだと実感しました

この辺りは、リモートワークに移行し業務と直接関係ないことをやる時間をカジュアルに取れたことが幸いしたと思います
不謹慎を承知の上で、コロナ禍がこの時期にあったことは自分にとってラッキーでした

入社3年目 粗くてもアウトプットを出す

3年目はある意味挑戦の一年でした
というのも、ここまで研究の感覚を掴むことがうまくできなかったことを上司に相談し、研究分野を変えてみることにしたからです
幸い、部署内で他の研究をしているチームが人手を欲していたこともあり、移行期間を設けながらお試しでそのチームに混ざってみるということがスムーズにできました

この年と次の年は、質は粗くてもいいからとにかくアウトプットを出してみる、ということを心がけていました

それを意識したきっかけは正確に覚えていませんが、先の2年間の苦悩を踏まえて「解くべき課題の見つけ方、その社会的意義は無理やり論文を描こうとしてみればわかってくるはず」という気持ちがあったと思います
(実際これはとても正しかったと感じます。誰かの言葉で「ある分野を勉強するには論文を書くのが一番早い」というものがありますが、ビジネス的な価値のものさしを知るには論文のイントロを書いてみるのが一番早いのだと思います)

あとは単純に研究成果が皆無だったことに対する焦りもあったと思います
2年目のところで述べたように自分が読む論文は正直(数学的には)くだらないと感じるものが多かったので「これで論文になるなら自分もとりあえず適当なネタで論文を書く練習をして、数を稼げるようになっておこう」という打算的な意識がありました

焦りに関しては、同期や先輩の輝かしい成果を見て劣等感とともに感じることもしばしばありましたが「自分は研究観のギャップを埋めるのに2年かかったから他の人より1年くらい遅れていてもそれが普通だ」と開き直るようにすると精神的にとても楽になりました

話を戻して、アウトプットを意識してどうなったかというと、論文や特許がとりあえず書けるようになりました
「とりあえず書ける」というのは、自分はその内容や意義に納得していないけれども、仕事としてやっておくべきものとして片付けられるようになったということです
これは研究でご飯を食べていく上ではとても大事なスキルだなと改めて実感しました

ただし、それがすんなりできたわけでは全くありません
例えば「アイデアや実験結果は悪くないが自分の中で意義が見出せない」研究結果が6月ごろに得られていたのですが、これを論文にするのは本当に大変でした
9月ごろに投稿できるといいなと思っていたのが、どうしても自分の中で納得できず、結局本格的に執筆開始できたのは10月を過ぎてからでした
それから年明けに投稿するまでずっとわだかまりを抱えたまま執筆を進め、そのストレスから論文はもう書きたくないとも思いました
この時粘り強く励まし続けてくれた共著者には頭が上がりません

入社4年目 少しずつバランス感覚を得る

4年目は、3年目の取り組みを長い苦悩から脱出するきっかけにして、少しずつ調子が出始めた一年でした

3年目のプチ異動は自分にとってかなりありがたく、異動先では外部との連携などもあったので研究の意義を比較的わかりやすく感じられました
この辺りからチームに向けて新しい提案を自主的にできるようになってきました
ようやく価値のものさしが自分の中にできてきたのだと思いました

研究に対する積極性も上がり、自ら他部署の人とコラボレーションして共同で研究ネタを作ることもできるようになりました
またこれは業務外ですが、ずっと続けていた量子計算の勉強会でゲーム開発をするようになったりと、人と一緒に新しいものを作る経験もしました

自分のやりたいことを見定めながら人を巻き込んで新しいチャレンジをするという体験を通して、自然と自信が持てるようになっていきました

自分の部署では毎週業務の進捗を短く話す機会がありましたが、3年目まではこれがなんだか精神的にしんどかったのを覚えています
4年目くらいからだんだんと気にならなくなり、淡々と進捗報告できるようになりました
このあたりには、ここまでの話が心に及ぼした影響が如実に表れているように思います

ちなみにこれだけ読むとこの一年が終始順調だったようですが、実際には急に全てが好転したわけではなく、上で書いた苦労した論文がリジェクトされてまだ付き合わないといけないことで泣きそうになったり、異動先のチームで別の問題があったりと精神的にはとても落ち着いた状態ではありませんでした
この note ではあくまで入社時の悩みであった研究観のギャップに焦点を当てた話を書いています

入社5年目 研究のやり方を知る

5年目は、研究への取り組みにおいてまた一つの転機となる年でした
社会人博士として大学に入学したのです
また、4年目の間は外部との案件に関わる業務がかなり大きかったですが、この年からちょうどその案件業務も一旦落ち着くことになりました

4年目までで今の研究分野におけるものさしを手に入れた自分にとっては、多くの時間を自由に使って自分で研究を進めていくチャンスのタイミングでした

3-4年目ではアウトプットの数を意識して仕事をしていましたが、研究の進め方がわかってきたことと研究時間を確保できたことで、あまり意識しなくてもそれなりに良いペースでそれなりに納得のいく内容の研究ができるようになりました
そして、論文を書く回数が増えることでさらに自分の研究観の解像度も上がるという良いサイクルも実感しました

ここまで来ると、ようやく他の人から見て「あまり心配せずに勝手に自分で仕事を進められる人材」になれたのかなと思います
今まで関わってくれた方々には本当に頭が上がりません

なお、博士課程の詳細は↓の note に譲ります

おわりに

自分が就活をやっていた時にこういうことを知っていればもっと悩むこと・後悔することも少なかったかな、と思うことを書いてみたので、同じ立場の人にとって参考になれば幸いです
もっとも、私は今の自分の姿を結果的には全く後悔していませんし、

  • 上で書いたようなことは知識として見聞きするだけでは実感が持てず、結局のところ体験してみないとわからない部分も多い

  • 人によって背景も価値観も違うので上記が当てはまらないこともある

だろうなとも思います
なので人の話を聞いて「こういうことを知っておけばよかったのか」とくよくよしすぎないことも大事ですね

過去を悔やむより、今や未来に向けてたくさん悩んでいきましょう!
(自分に言い聞かせながら)

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