第二章の4.孤高の異端児

Mに影で手を差し伸べたのは、北の波やMが属する第一派閥の次に大きな一門に属する、元大関の理事、快傑だった。

快傑は、派閥も考え方も違う北の波とは距離を取っては居たものの、リリーフで理事長になったMに対しては違う感情を持っていた。

大麻問題で辞任した理事長のリリーフに立った途端に、こんなにも大きな案件を抱えることになるなんて。Mさんも気の毒に・・・
そんな同情にも似た思いを抱きながらMの仕事を見守り続けていたのだ。

その理由は、Mと快傑が実は同級生のような関係だったことが挙げられる。入門こそ中卒で入ったMの方が先輩だが、実は誕生日も同じ2月の同学年。入幕や引退などの人生の節目の時期も不思議に似通っていて、部屋や一門の壁を超えて「互いに気になる存在」という仲だった。

親しいのか親しくないのか分からないような間柄に見えるのは、快傑は当時の角界の中でも群を抜いた知性派で、相撲の世界しか知らない力士たちとは一線を画す孤高の存在であり、徒党を組むことを好まなかったからだ。

快傑が角界で異端だったのは“人間としての核が出来上がったのが外の世界”だったからに他ならない。

快傑は大学一年生の時、全国大会の団体優勝にも貢献し、五輪を夢見る有望な柔道選手だった。しかし、その素質に惚れ込んだ相撲部屋から、何度も両親が強い説得を受け、特に父親が喜んで彼に角界入りを薦めた。

いつかは両親に恩返しするのが、彼の目標だったし「何より父親がこんなに喜んでくれているのにガッカリさせたくない」という思いが、彼の中で強くなった。
「柔道にはプロがない。だったら若い内からプロとして稼げる大相撲のほうがいいか」そして大学一年の半ばで中退し、入門を決めたのだ。

しかし快傑が「国技と呼ばれる一種のプロスポーツ」のように捉えていた大相撲の世界は、彼が想像していたものとは別世界であった。
ONとOFFを分けられるプロスポーツとは違い、角界は生活と相撲が混沌として存在している。だからこそ、兄弟子・部屋・一門などのつながりやしがらみが、家族や親戚との付き合いのように発生するのだが、18歳の快傑にはそれは容易に受け入れられるものではなかった。

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