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遊びを因数分解する〜花いちもんめ〜

保育士おへそのごま の保育エッセイ(19)

「遊びを因数分解する〜花いちもんめ〜」

 保育している中で【遊びの因数分解】ということを時々考えます。この遊びが子ども達を引きつける要素は何だろう?子ども達は何を面白がっているんだろう?保育士としてはどこをポイントやねらいに置いてこの遊びを楽しむといいのだろう?そんなことを考えていくと、ひとつの遊びに様々な要素が含まれていることに気づきます。

 今日は実際に子ども達と遊んでいた姿から【遊びの因数分解】をじっくり考えてみます。

 『花いちもんめ』を遊びの要素として因数分解してみると、ホントに様々な要素があって面白いんです。
 ある日「相談しよう」にターゲットして遊んでみました。遊びの中でこんなに頻回にテンポよく頭をつき合わせて「相談」することを経験できる遊びってなかなかありません。

 最初のうちは、それぞれが「あの子が欲しい」と主張しあうだけで、ジャンケンで勝った子の意見を採用しているような、相談とも言えない状態。
 けれど、相談するためには比較したり考える基準や視点が必要です。なので、「ねぇねぇ、誰がジャンケン弱そうだと思う?」とひと言だけ投げかけてみました。
 そうすると、それぞれの主張は横に置いて「〇〇くんは?」「ダメだよ、さっき勝ったもん」「△△ちゃん試してみる?」なんて立派に話し合いが成立するんです。

 話し合うポイントをしぼってひとつの軸にそって考える。これが話し合いを成立させるポイントのひとつですよね。
 さらに面白いことに、何回かこの調子で「相談」していると、
「ダメだよ、弱い子ばっかり(選んで仲間)にしたら、最後(相手チームは)強い子ばっかりになって負けちゃうじゃん」
なんて、この一勝だけでなく、先を見通して「いかに勝つか」という戦略とも呼べるようなことを言い出す子まで出てきました。

 これには、驚きました。
 保育園の子ども達(年長児とはいえ)でそこまでのことを考えて、話し合いの場できちんと自分の言葉として周りを説得しようとする。
 こんなの、遊びのねらいとしてそこまで想定しないじゃないですか。
 子ども達は、いつだって大人の想定をポンと跳び越えてくれます。

 この、大人の想定していた「ここまで経験してほしいな」のねらいを軽々と跳び越えられた時こそが、保育者としての最上の喜びだと思います。子ども達の成長の種はあちこちに散りばめられていると感じます。


 さて、この日は「相談しよう」に視点を置いて遊びを展開したのですが、この遊びの楽しさや子ども達に経験してほしいポイントは他にもたくさんありますよね。
 
 他の要素にも注目して花いちもんめを因数分解していきましょう。

 僕が個人的に大きなポイントだと思っているのが『勝ち負けの混在・負けるが勝ち的な展開』です。
 一回一回、ジャンケン勝負で勝ち負けは決まるのですが、面白いことに「負けた当事者」はすぐさま「勝ち組」に引き入れられて「勝〜って嬉しい♪」となるわけで。

 しかも、勝ち負けはジャンケンという運だのみ。最後のひとりになったとしてもその局面での勝率は五分五分のまま。例えそれで負けても、最後は全員が「勝ち組」になっちゃってみんなで「ヤッター!」という結末。
「勝ち」と「負け」がそれを目的としないというか、大きな価値をもたない遊び。

 これは、「勝ち負け」にこだわりがちな4歳児さんくらいにたくさん経験してほしい要素です。
 この「ねらい」を持って遊ぶなら…
※最初の例のように「相談」や「言葉遊び」「手つなぎの連帯感」などの“ほかの要素”を重視した遊びとして展開する方向へ持っていく。
※逆に思いっきりひと勝負ひと勝負の勝ち負けに大げさに反応することによって子ども達に「そんなに大騒ぎすること?」的な雰囲気を引き起こすか。

 その時の遊びの展開やメンバーによって柔軟に展開は変わっていくものですね。
 どちらにせよ最終的に「勝っても負けても楽しかったー!」と子ども達が感じられることが大切かと。
 これが『負けるが勝ち的』要素。

 「相談」「勝ち負けの混在」と遊びの要素をあげてきましたが、3つめは「言葉遊び・唱え・かけあいの面白さ」について考えてみましょうか。

 これはもちろん、「勝って嬉しい花いちもんめ♪」っていう唱えについてなのですが、この唱え文句、皆さんどんな風に唱えていますか?
 地方や時代によっても文句も節回しも変化しているようで、僕が関西地方で昔遊んでいた唱えと、今の勤務園で子ども達が唱えているものでも違っていて、それはそれでルーツを探ってみたくなるのですが、今回は僕の勤務園で今子ども達が唱えている文句で考えます。

「勝って嬉しい花いちもんめ」
「負けて悔しい花いちもんめ」
「となりのおばさん ちょっと来ておくれ」
「鬼が怖くて行かれません」
「お布団かぶって ちょっと来ておくれ」
「お布団ボロボロ行かれません」
「お釜かぶって ちょっと来ておくれ」
「お釜底ぬけ行かれません」
「あの子がほしい」
「あの子じゃわからん」
「この子がほしい」
「この子じゃわからん」
「相談しよう」
「そうしよう」

という流れになっています。細かな差異はあるでしょうが、概ね基本的なやりとりかと思います。

 さて、前置きが長くなりました。
 この「唱え歌」について、その面白さを思いつくままに考えてみましょう。

 まず、単純に節に乗せて言葉を唱え歌う楽しさは、古今東西共通の人類の文化と言っていいでしょう。深掘りすると大変なのでわらべうたを研究した本などにお任せしましょう。

 僕が思う【花いちもんめ】の唱えの面白さは、冒頭の「勝って嬉しい」「負けて悔しい」の部分から。
 これを読んでくださっている皆さんは、最近誰かと勝負して、その相手に面と向かって「勝って嬉しい!」「負けて悔しい!」と感情・言葉・態度をぶつけたことがありますか?

 日常生活の中でもスポーツ、勝負ごとでもそうした行為は眉をひそめられたり、たしなめられたり「相手の気持ちも考えなさい」って叱られたりするものですよね。

 それを、まあなんて堂々と。集団で。相手に面と向かって。大声で。

 まさに、感情のストレートな爆発的表出。

 こんな感情の言語化や表出を保障している遊び、ほかにあります?
 嬉しい、悔しい。ストレートな感情表現や感情の言語化を保障する。って乳幼児期にはとても大切だと思っています。
 さらに言えば、上でも述べたように勝ち負けが混在している花いちもんめでは、「勝って嬉しい」も「負けて悔しい」も同じくらいの頻度で経験するわけですよね。
 その上、自分が嬉しいと言えばすぐさま相手が悔しいと返す。
 どちらの感情表現も等価で相対化(という表現で合っているか微妙ですが)されている。一方的でない。
「そんなこと言ったら相手はどう思う?」なんて野暮な口を挟むヒマもなく明々白々に「嬉しい!」「悔しい!」の応酬でしょ。気持ちいい。

 「感情のストレートな表出をテンプレ化されている」ことがこの唱えの大きな魅力のひとつめ。

 さて次は。
「隣のおばさん ちょっと来ておくれ」からの、ちょっとコミカルなやり取りの部分。
まるでコントを見ている(演じている)ような気分になります。
 あの手この手で「来させよう」とする相手に
「鬼が怖くて行かれません!」
と堂々と言い切る。これも子ども達にとっては新鮮かもしれません。

 『鬼が怖い』というある種自分の弱さをあっけらかんとオープンにして相手の要求を突っぱねる。お布団はボロボロ、お釜は底抜け。なのにエラく強気の「No!!」なわけです。

 僕は常々、子ども達は「No!」と言いたい発達的な要求を持っているんじゃないかと思っているのですが。(これも長くなりそうだから別の機会があれば)
 コミカルに弱みを強みに変えて相手に「No!」を突きつける時の子ども達の表情を見ていると、これもとても重要な要素だと感じるのです。

 「No!と言える」コミカルな掛け合いから続くのはテンポのいい「ボケとツッコミの構図」

「あの子が欲しい」
「あの子じゃわからん」
「この子が欲しい」
「この子じゃわからん」

 なんでしょうね、この安定感(笑)
昭和のレジェンド級師匠方の王道漫才を見ているようです。

 上の方にも書きましたが、この安定感こそが「テンプレ化」されたやり取りの良さなんだと思います。

 例えば、初めて会ったような相手に「あの子じゃわからん!」ってツッコミ入れられますか?職場の上司に「お前の言い方じゃわからん!」って言えますか?

 でも、これが唱え文句として「テンプレ化」されていたら。初めて会うひとでも、距離感がぐっと縮まると思いませんか?

 子ども達って初めて会った間柄でもすぐ仲良くなって遊べるってこともありますが、昔からの遊びの中には上下関係やひょっとしたら身分も飛び越えて対等にやり取りできるような仕組みが、面白おかしく(おそらくは意図されずに)含まれていて、構図として現代にまで残っているんじゃないかな、って思うんです。
 嬉々として「あの子じゃわからん!」って相手にくってかかる子ども達を見ていると、意識せずともテンプレに乗っかるだけで、対等な関係でボケとツッコミが成立するっていいよな。と思います。

 長かったぁ!まだお付き合いいただけますか?とりあえずここまでで、「唱え文句」の面白さについてはシメ。

 『花いちもんめ』を 【遊びの因数分解】する。
「相談する」「勝ち負けの混在」「テンプレ化された唱え文句の魅力」とその要素を考えてきました。

あとは。
「手をつなぐ・肩を並べる」一体感と他者の動きを感じて調整するってあたりかなぁ。

 手をつないでまるくなる、動きは色々な遊びでありますが、一列になって前後移動する遊びはあまりないですよね。

 子ども達が花いちもんめを遊んでいるのを見ると、この前後移動を「わーっ!」と楽しんでいる子が多い。
 この楽しさのもとはなんなんでしょう。

 手をつないで、みんなで肩を並べて、「勝って嬉しい」「負けて悔しい」という心情も共有して、一斉に相手に向かっていく。この一体感が高揚を生むのでしょう。

 さらに言えば、みんなで手をつないでいることにより、若干の動きの制約が生まれます。制約のある中で協調していくことは、二人三脚やムカデ競争のようなドタバタから生まれる面白さと挑戦意欲をかき立てるような気がします。

 こんな風にひとつの遊びについて【遊びの因数分解】をしていくと、その遊びに含まれる要素を「何が楽しいのか」「何につながるのか」「他の遊びとの共通点は」など様々な見方につながります。

 ここまで七面倒くさく考えなくたって「楽しいものは楽しい!」と遊ぶことだってできます。

 けれど、「なんでこの子達はこの遊びにこんなに夢中になってキャーキャー喜んで遊ぶんだろう」「ここまでこの遊びに集中させる要素はなんだろう?」って考えていくことで、その時その場、その子に合わせたねらいや願いに応じて、遊びを変化させられるんです。
 一番冒頭の「今日は【相談】にスポットを当てて遊んでみよう」のように遊びを見るだけでも、発見があったりしますし。

以上!
『花いちもんめ』の【遊びの因数分解】でした。

 長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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