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ちょっと内面に問題がある女は仏教から学ぶものが多いのかもしれない

やっと気づいた。世の中って生きづらいものなんだ

2023年「神様・仏様ってなにそれウケるww」と思っていた愚かな私が、40歳を目前に「仏教っていいな学びたいな」と急にハンドルをきって方向転換。本を読んだり大学の公開講座で学んだことのアーカイブをここに書きためることにした。

楽天的で無責任でも生きていけた

30代のはじめ、同級生が「生きづらい」と話していたけど、その時の自分にはその感覚が全くわからなかった。

30代のはじめというのは、20代のノリをそのまま続けていてもなんとか大丈夫だった。気持ちが若いと面と、子供っぽい面のいい部分と落ち着きがない部分が混同してる感じ。
私は高スペックではないんだけど、自信がないわけでもなく、合わない人がいても差し支えがないから気にすることなく過ごしていた。自分で言うのもなんだけど若いときはそこそこ見目が良かったから、そこそこチヤホヤされて自分を肯定的にとらえていた。
20代の最後の年、転職した。
今までの自分とは全然違う業界。「まぁ今まで通りなんとかなるでしょ」ってゆうノリで入社。IT業界だから専門知識が必要ではあったけど、イチから学ぶことにアレルギーはなかった。

昔から「中の上」が自分の中の及第点で、のらりくらりと生きてきたから、及第点までは頑張るけど、それから先はそのポジションをキープすることにこだわった。

「必要以上にも頑張りたくない。頑張ることでできない自分に向き合うのは嫌だし。」

なんでも持っているようで、そうでもなかった

ただ、頭一つ抜けないと給料が安いまま。それはものすごく嫌だった。まさに及第点が中の上を目指す人間の発想。
どうやら地方の中小企業務めだと給料を中の上獲得するためには、自分自身のブランディングが必要なんだと。それを知った後、私のアイデンティティはガラガラと崩れていっていた。

「私って何があるんだっけ?」

ファッション・美容・音楽・スポーツ…好きなものはたくさんあるけど、愛でることが楽しくて「仕事」に発展できるほどの情熱的なのかというと…う〜ん。商売はまた別だ。
「好き」の情熱度が高くないっていうのは、ブランディングできるほどの要素ではないってこと。

いつの日か「あぁ、自分は空っぽの人間なんだな…。何者にもなれない。つまらない人生だ。」と、落ち込むことが増えた。
そればかり考えていると未来が曇って行く気がした。特に通勤時の交通機関の中では考えてしまうので、苦しくなってこっそり涙することもあった。

同級生の言う「生きづらい」ってこういうことなのかなと思った。

ひとつだけ確かな経験

仏教に興味をもち始めるまで、生きづらさを感じ始めてから5年は経過していた。
この5年の間「生きづらい」の克服にあーだこーだしていたんだろうけど、手応えがなかったからか、何してたかあまり覚えていない。

実は「生きづらい」と感じ始める少し前に、友人の誘いでインド旅行をしていた。海外に行くのは好きだったけど、インドって特別なイメージ。すごくハードルが高い印象。
だからこそ一人じゃきっとたどり着けない場所だと思ったし、この機を逃したら次に行けるチャンスが来るかもわからないとすぐに行くこと決めた。
インドは10日間の旅。有名なタージ・マハルには行かなかった。一番行きたかったのは映画に出てきた湖。そこは「レー」という街で、インドの北の方に位置している。チベットに近い場所にあるので、そこで生活する人たちはかなりアジア寄りな見た目のインド人。「チベタン」と呼ばれているらしい。
街の仏像屋の人は私が日本人だと知ると「同じブティストだね」と言って喜んでいた。その時の私は仏教には本当に興味がなかったけれど。とりあえず微笑んでうなずいた。この街の人たちは仏教徒らしい。

街を探索した後、トゥクトゥクの運転手さんが郊外を案内してくれた。
訪れた時期は真冬。レーは標高3,500mの場所にあって、その日の気温は氷点下だったと思う。
連れて行ってもらった郊外にはいたるところに寺院が建っていた。その中のひとつの寺院で小さな入り口を見つけた。なんとなく、誘われた気がして入ってみると、中の空間ではたくさんの男性が料理を作っていた。料理を作っているけどお店ではなさそう。たぶん、その集落の夕ご飯の支度をしているようだった。私を見つけた男性が、おいでおいでと招いてくれて、できたてのチャイを振る舞ってくれた。
そこはとてもあったかい空間で、とても居心地がよく、いただいたチャイは格別の味だった。チャイはいくらですか?と尋ねると、「お金なんて要らないよ」と首を振られた。
心までも溶かされていくような気持ちになった。

そう、この日の出来事から5年以上経ったけど、この経験を鮮明に覚えている。
あたたかい空気感、コミュニティーがもっと近くにあるといいなぁと思うようになっていってた。あれは仏教によって作られた居場所なのかもしれない。仏教をもっとよく知ったら、居心地のいい場所に居れたり作れたりするのかもしれない。
これからそんな居場所を見つけられるか作れるかわからないけど、少しずつ近づいていけたらいいなと、学んでみることに至った。








これもなにかの縁ですので、ご贔屓にいただけると嬉しく思います。今後の仏女活動に精進いたします。