扉を開けたらまた不幸だった

不幸の出口はあまりにも遠い。

自傷行為を覚えた中学時代だったが、私は奇跡的に不登校になることもなく中・高・短大を(無事ではないが)卒業していった。
短大卒業を控えた時、大学へ編入したかった私は母と衝突した。反抗として、新卒を蹴って就職を拒否した。

フリーターをしながら、大学編入の資金を貯めていた途中、私はフリーター先の副店長(厚化粧クソ女)から嫌がらせを受けるようになった。
「自分が嫌っている相手は、相手も自分のことを嫌っている」みたいな言葉があるが、上手い言葉だと思う。
私はその副店長の女が嫌いだった。仕事もロクにしないしできないし、その上「私は副店長」という無言で「敬え」とアピールしてくる。
向こうも向こうで、媚びない態度の私が疎ましかったと思う。当時の私は20歳そこそこ、まだ若かった。「媚びてどうする」という意地があった。
しかし、ある日から嫌がらせが始まった。

元々のメンタルの悪さもあり、私はみるみる精神状態が悪化していった。嫌がらせの内容は長いしくだらないので割愛する。
職場の先輩から心配されるようになり、「精神科へ行ってみてはどうだろうか」と言われた。
その頃の私は、ストレスからか不眠が続き、他人から見たら顔色が悪かったらしい。

このままではいかん、と思い精神科へ向かった。
最初の地元の精神科医があまりにもクズだったので、市街地にある女医の精神科を訪ねた。
初診の30分、私は生い立ちから今に至るまでをつらつらと話した。
話し終えた後、私は長年の疑問を口にした。

私「先生、ずっと疑問に思ってるんですが、私は何かの病気なんでしょうか?」

医「正直に言うと、鬱病。しかも子供の頃から仮面うつ傾向にあったと考えられます」

子供の頃から、ずっと周囲からは「怠けている」「甘えてる」と思われてきた私は、診断が出て「今まで怠けていたわけではなかった」とほっとしたし、初めて理解されたようで嬉しくて泣きそうになった。
これで、薬を飲んで、すぐ完治するだろう、その時の私はそう思っていた。
しかし甘いぞ女。精神科の門を叩いて数年、アラサーの頃の私は何もかも失い無職だということを当時の私はまだ知らない。

不幸は続くよどこまでも。

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