毒母マリアさま(どくぼまりあさま)

「子供が欲しい」という欲望だけで子作りするものではない。

正直言って、母はアスペ気質だと思っている。(決してアスペルガーの方を否定しているわけではない)
暗黙の了解や、他人とのコミュニケーション、空気を読む……等々のことがよくわかっていない。

子どもの頃から、母にはよく振り回された。
母は買い物や外出が好きで、子どもの頃からかなり付き合わされた。
小さい間は、母が好きだったので外出も楽しかったが、物心付き母が「ちょっとおかしいんじゃないか?」と思い始めた頃から、母と行動を共にするのが苦痛に感じるようになった。
何より嫌だったのは、夫婦仲が険悪になり始めて父が家にいるときに何時間も買い物に付き合わされることだった。

最初は「嫌だ」とか抵抗したと思う。記憶が朦朧だが。
しかし鮮烈に残るのは、母が毒親に目覚めたことだった。

外出を断ると

「ご飯作らん!」
「小遣いやらん!」
「明日の弁当作らない!」

……等々、脅されるようになった。
子どもの身分として、逆らえなかった。母の機嫌を伺うようになり、思ってることを口に出せなくなった。
父はそんな嫁の様子を察知していたが、他人事のように無視していた。
私を尊重してくれる人は、家の中に居なかったのだ。
母の機嫌を損ねないように、週末は長い買い物に付き合う日々、心は休まらなかった。

ある日、当時の友人と雑談をしているときに
「妹がお母さんから買い物頼まれても無視してゲームしてさー、お母さんが怒りながら夕飯の買い物いくんだよね」
と話していて、私は驚愕した。母を無視できるということに。
「何で無視できるの?」
と私は質問した。そしたら
「え?嫌なら嫌って言えばいいだけやん」
と返答され、私はそれ以上何も言えなかった。
そして私は気が付いた。その友人は「親に意思を尊重されている」ことに。私が両親から「意思を尊重されていない」ことに。

何故、実の親なのに嫌なことを「嫌」と言えないのだろう。
どうして母は、私の意思を無視するのだろう。

「尊重されていない」と思うようになってから、両親を嫌うようになった。
母は私が一人娘なのでやたらと私に依存していたが、高校生の頃には母に親としての愛情は薄れていた。
しかも母は私が16の頃からパニック障害を患い、外出好きが一転して引きこもるようになった。
料理も不味い、裁縫もできない、近所の人に挨拶されても無視する、部屋は片付けできなくて汚い。
おまけに引きこもりの弊害として、身だしなみに気を使わなくなり、風呂にすら入らなくなった。
ただでさえ主婦として致命的であったが、引きこもりみすぼらしくなった母に私は愛情どころか同情すら見出せなかった。それでも、母は一人娘の私を離すまいと必死だった。

しかし、成人して鬱診断を受けてから、実家にいることに限界が来た。
無職で寝たきりになり、統合失調症の父と衝突し、恥ずかしながら父に暴力を振るったり暴言を吐いたりしていた。
主治医からも「家を出なさい」と言われるようになり、母に「もう限界なので出て行く」と告げると

「置いていかれたら、私はどうなるん!?」

と、娘より我が身を真っ先に心配した。
私は認識が甘かった。いくら母が毒親でも、少しばかりは私を愛してくれていると思っていた。
「私のことは気にせず出て行っていい」という言葉を期待していた。
しかし母が心配していたのは、鬱病が悪化した娘より家から出られない自分。

母が愛しているのは、私ではなく、自分自身だった。

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