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ちいさな相棒、「おいしいもの」



しあわせ、と言われて、二度寝ができる休日の出がたいふとんとか、犬をぎゅっと抱きしめることとか、好きな服を着て出かけることだとか。とにかくありがたいことに幸せってなに?と聞かれると片手で足りないほどにいろんな幸せが浮かぶけれど、中でもいちばん多いわたしにとっての幸せは、「おいしいもの」だと思う。
クリームがこれほどかとばかりに詰まったシュークリームに、パン屋さんのちょっと焼きすぎなくらいにこんがりしたクッキー、ぷりんぷりんの水餃子におおきなおむすび。好きな食べ物と言われたら軽く数時間悩んでしまうくらい、この世界はおいしいものにあふれている。

おいしいものは、とてつもなくダイレクトに幸福感につながる。万人がそうではないかもしれないけれど、少なくともわたしはそう。
とんでもなく落ち込んだ日も、とんでもなくやなことがあった日も、とんでもなく疲れた日も、わたしのそばにはいつも「ごほうび」があった。
仕事帰りの深夜、コンビニに寄って買う背徳感たっぷりのパフ入りのチョコレート、バスを逃してとぼとぼ歩いて帰る途中、自販機で買うあったかいスープ。仕事がつらくて、寒空の下誰もいない真っ暗な公園でぐすぐす泣いた日も、ほとんど粒だけになったコーンスープの缶がそばにあった。
それらは食べたから、飲んだからといって必ずしも気持ちをすごく前向きにしてくれるものではない。おいしいもの、好きなものを食べたくらいで(というとすごく語弊があるように思うけれど)前向きになれる程度の落ち込みならかわいいけれど、泣きたい時も死にたくなるくらいつらくて生きているのが恥ずかしいときなんて、食べ物がもたらしてくれる幸福なんてほんのちっぽけで、劇的な回復にはなり得ない。けれど、確かにささやかに幸せで、確かにうれしいのだ。そのささやかさって、とても大事なように思う。
「これを終えたらあれを食べよう」「泣いて終わったら、これを食べよう」って、お守りみたいに寄り添ってくれるたべものがたくさんあるって、それだけでとっても心強い。
高くなくても、なんでもいいのだ。限定品でもいい。限定品がなくなっちゃうときはすごく寂しいけれど、新しく出た味をためしておいしかったときのよろこびや、新しい「ごほうび」を見つけたときのよろこびって、他では得難い。
わたしにとっての食べることって、幸福と同時に「楽しい」ことで、食べたことのないものを食べる時のわくわくも、誰かとおいしいものを共有するしあわせも、全部ひっくるめてだいすきだ。

ぎっしり並んだケーキから、どれを選ぼうかなってわくわくする気持ち、車で通りかかったときに気になった中華屋さんのメニューを妄想する時間、ちょっと焦げたクリームコロッケの、とろりと飛び出たクリームがおいしかったとき。ああ、しあわせだな、と思う。誰もが賞賛するような美しいものを作れるわけでもなければ、誰もがうっとりするような言葉でその幸福を伝えられるわけでもないけれど、確かにしあわせ。
おおきな幸せも良いけれど、大事にしたいのってちいさな幸せだ。そしてその「わたしの小さな幸せ」の大体に、たべものが絡んでいる。

いろいろ暗い話題も多い世の中だけれど、いつか気兼ねなく旅に出られるようになったそのときに食べるしろたえのチーズケーキはびっくりするほどおいしいのだろうし、ぼんごのおむすびもレモンパイのレモンパイも、やまちゃんのたこやきもbirdのドーナツも、泣きなくなるくらいおいしく感じるんだろうな。会いたかったひと、行きたかった場所。それを満たして食べるおいしいものの、幸福ったら!

もちろん、ひとりでもいい。世界に一人きりかもってくらい孤独な日だって、わたしには心強いお守りがある。小さな魔法のようにずっと寄り添ってくれる、心強いお守りが。


#おいしいはたのしい

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