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「焼プリン」誕生秘話 ~構想から発売まで、13年の物語~

オハヨー乳業の「焼プリン」は、2021年4月で発売から29年を迎えました。焼プリンは今でこそ身近なデザートになりましたが、卵をふんだんに使用した本格的なおいしさや、食欲をそそる香ばしい焦げ目など、発売当時は実現が難しいとされてきた難題が数多くありました。

四半世紀以上も愛され続ける商品の開発の裏には、いったい何があったのか。構想から市場投入まで足掛け13年、焼プリンに懸けたオハヨー社員の物語をご紹介します。

「賞味期限」の壁

「こんな資料が奇跡的に残っていたんですよ」——。

焼プリンの開発に一貫して携わった古川が持参したのは、「昭和54年(1979年)1月26日」と日付の入ったセピア色に変色した試作配合表でした。

その商品名は、自ら名付けた「真プリン」。卵をたっぷりと使った本格的なプリンづくりに胸躍らせる、入社から間もない若手研究員だった古川の熱い思いがストレートに伝わってきます。

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「真プリン」と書かれた当時の配合表

ヨーロッパ出張帰りの上司から「現地にはガラスやアルミの容器に入った焼いたプリンがあった。あれができないか」と、古川に打診があったのはその配合表を書き上げる数カ月前のこと。当初は作り方も分からず、料理本などで研究。1月26日から始めた試作で粉乳やバター、卵などを使い、半年ほどの間に味の方向性も決まっていきましたが、商品として販売するための保存試験で「賞味期間」という最初の壁にぶつかります。

全国の量販店に流通させるためには、少なくとも2週間の賞味期間が必要となります。しかし実際に試験を始めると、わずか3~4日しかもたないことが判明。研究を重ね、1週間程度まで伸ばすことはできましたが、それでも「合格点」には程遠く、やむなく商品の開発をいったん中断することに…。

ヒントになったのは、試作室で見つけた失敗作だった

挫折を味わい、その後は別のプリンの研究を4年ほど続けていた古川ですが、知り合いの業者から「使っていないレトルト釜がある」と持ち掛けられたのが転機となります。加圧加熱殺菌ができる装置を使い、翌年には熱湯を使って蒸した「蒸しプリン」が完成。過去に研究していた焼プリンとは別のものでしたがが、どちらも卵を使って凝固させた本格的なプリンです。原料的にもかなり近いもので、焼プリンの販売に向けて大きなステップになりました。

カスタード、クリームチーズ、チョコレートの3タイプの蒸しプリンは瞬く間にヒット商品となりましたが、古川の頭の中には「2週間の賞味期間」が常にあったとのこと。その執念は1989年7月、突然実を結びます。

真夏の夜の「ひらめき」

暑い夏の夜、床に就いた古川の頭にふと「卵と牛乳などを分けて殺菌する」というアイデアがひらめきます。

卵は60度で固まるため、それ以上は加熱・殺菌できず賞味期間を延長することができません。そこで蒸しプリンづくりの手法をヒントに試作したところ、予想通りの結果が。1979年に「真プリン」の試作配合表を書いてから最大のハードルを乗り越えるまで、既に10年の月日が流れていました。

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この時期にもう1つの課題となっていたのが、卵に付着する菌の対策です。工場などで大量に使用する業務用の卵は、液卵として購入するのが一般的ですが、卵は殻を割った瞬間から菌が付着し始めます。業者に無菌状態の卵をオーダーしてみたもののあっさり断られた古川は、「おいしい焼プリンを作るためにはどうしても必要。業者が供給できないのなら自社で新鮮な卵を購入し、製造直前に工場で割って使えばいい」と割卵機の購入を上司に直談判。大きな投資となりましたが、「当時は焼プリンの商品化が会社としての大命題であり、上司もその必要性を受け入れてくれた」といいます。

商品化のめどが立ったあとは、工場の準備です。茨城県の関東工場で焼プリン用ライン建屋の建設が進みました。当時、本格的な焼プリンは洋菓子店しか販売しておらず、手応えは日増しに高まっていましたが、ライバル会社から焦げ目こそないもののオーブンで焼いた「焼きプリン」が発売されたというニュースが飛び込んできます。急きょ開催された社内会議で「焼プリンというからには、見た目も大切。香ばしいおいしさを持たせるためにも、私たちの商品には何としても焼き目をつけよう」という声が上がり、古川には開発の最終段階で3度目となる大きな課題が突き付けられたのです。

失敗から生まれたInnovation

ガラス容器に入ったプリンなら、高温で焼くことで簡単に焦げ目をつけられますが、市販用のプリンに使用するプラスチック容器は熱を加えると溶けてしまう——。

この難題を解くには1年近くの時間がかかりました。ヒントになったのは、試作室で見つけた“失敗作”。オーブンで焼く前の処理が十分でないまま、うっかり焼いてしまった試作品に、きれいな焦げ目が付いていたのです。気付いた古川はすぐに技術開発課に駆け込み、担当者らと協議を重ねます。

ヒントは意外なところにあるーー。
その後の検討の結果、工程を改良し、焼プリンの代名詞とも言えるきれいな焼き目をつける画期的な技術が完成。1992年3月、満を持して私たちの「焼プリン」を発売することができました。

1992_焼プリンカスタード_初代

1992年に発売された初代「焼プリン」
市販品としては日本初となる、香ばしい焼き目をつけたチルドデザート

挑戦し続けた13年の大きな成果

発売後の反響は、私たちの予想をはるかに超えるものでした。需要にこたえるため、半年後には関東工場のラインを増強。その後も生産体制を強化し、1997年には現在の5ライン体制に。発売2年目には、当時400億円程度だったチルドプリン市場でシェア10%を獲得するという快挙も達成します。

「消費者、量販店にとって想像したこともない商品だったからこそ、これほど受け入れてもらえた。ノーベル賞を受賞した皆さんも同じだと思うが、何度も悩み挑戦し続けていたからこそひらめいた。しつこく、あきらめずに考えることの大切さを学んだ」と古川は振り返ります。

オハヨー乳業には、古川が育んできた商品開発のカルチャーが今も息づいています。今後のオハヨー乳業のデザートにも、ぜひご注目ください。

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■古川 廣志(ふるかわ・ひろし)
1975年、オハヨー乳業入社。商品開発部長・関東工場長を歴任し、2016年、専務取締役就任。その後顧問を経て、2020年退任。
焼プリン、のむヨーグルトなど、オハヨー乳業の代表商品を開発し、市場に送り出してきた立役者の一人。

※本記事は、過去のインタビュー記事をnote用に再編集して掲載しました。