オムライスが食べたいと言えた日

一昨日は21時すぎに退社した。
帰り道、仕事の疲れと爆弾低気圧のせいで心のダムが決壊しそうだった。

少しだけ心を寄り掛からせてもらいたい気持ちになって、帰りの電車のなかで彼に応援のメッセージをもらえますか、と頼んでみた。

LINEにあまり感情を乗せる人ではないので、「そうなんだ。頑張って。」くらいの返事を何となく想像していたら、想像の斜め上のとても優しい言葉をくれて、明日の仕事終わりに会って私が好きなものを食べに行こうと言ってくれた。

嬉しくて、子どもみたいに「オムライスが食べたい!」と言ったら彼は「わかった。」と了承してくれた。

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恋愛をはじめてから少しずつ、自分のなかの少女性というか、ワンピースを着た子どもの自分が彼の名前がついた広い庭のなかで無邪気に遊んだり駆け回ったりして、解放されている感覚がする。
これはずっと自分が恋愛に求めていたことなんだけど、心を許した人に甘えるってこんなに心地良いんだ、と毎回ひとり静かに感動している。

私は昔から人に甘えたり、頼ることが苦手だ。

もともとの性格と環境が重なって、気づけば感情に蓋をするのが癖になっている。

「何が食べたい?」と訊かれたら、自分の食べたいものよりもまず相手が求めている答えを想像して「〇〇かなあ」と柔らかく余白を残して返答し、相手に決定権を与えるというのがお決まりのやり口。

長い時間かけて染みついたこの癖を、時間がかかってもいいから直したい、直していこうと私は思っている。なぜなら自分の根っこの性格はとても末っ子気質で(実際に末っ子)甘えたいという欲求が強いから。

些細なことかもしれないけど、彼にオムライスが食べたい!と自分の欲求を直球ストレートど真ん中で伝えられたことは私にとってちょっと大きな出来事だ。

そんなわがままが言えるようになったのは彼がおっきな木の幹のようにとても落ち着いていて安心できる人だからこそで、本当にありがたいと思う。

好きな人に無防備に自分の身を預けることがこんなに心地が良いということ、こんなに気持ちが楽になるということを25にして知った。

恋愛の与える影響がこんなにすごいこと、義務教育で教えといてほしかったよほんとに。

こうやって少しずつ、自分と相手にとって心地良い甘えと身勝手の境目を見つけていけるといいなと思う。


つづく。

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