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歓喜の音

今月、クラシックコンサートへ出かけた。
詳しくないけれど、一度は生の演奏を聴いてみたいという気持ちと、気になっていた定期演奏会にお気に入りの一曲が入っていることを知ってますます気持ちが高まり、思い切って一番安いチケットを購入。

楽器ひとつ一つが奏でる繊細な音と、緻密で軽快さを纏って織りなすハーモニーの数々。かと思えば、豪快で大迫力な演奏。どれも本当に凄くて、またひとつ新しい世界を覗くことができた。それと、演奏がはじまる前の静けさ、終わった後の割れんばかりの拍手も含めて気持ちいいなと感じた。

心に残る不思議な体験をしたのは、演奏後。
まず、拍手喝采。これを味わってみて、はじめはなにが起こっているのか、よくわからなかった。
至るところで連続する破裂音と、しばらくつづく音圧が耳に届くころには、むしろ無音だったから、音のない世界を生きているようで錯覚し、混乱した。
次いで、こんなにも歓喜を表現できる音が、これ以外にあるのか?と疑問も浮かんだくらい。なにより拍手ってこんなにも誰かやなにかを称える音だったのかと驚いたし、感動した。誇らしいという感覚に近いかも。

大人になってはじめての体験は、だんだんと少なくなっていくと思っていたけれど、まだ見ぬ世界は、他にもたくさん存在していそうだなと思って、ワクワクしながら帰路についた。

あとそうだ、お気に入りの一曲でさえも、あの音はこの楽器だったのか〜とか、ここにしか出番がないのに圧倒的な存在感だなとか、新しい発見もあって、余韻に浸り気持ちよかった。それはまだ続いてて、いまもほぼ毎日聴いている。
同じ曲や演奏会に何度も足を運ぶ人の気持ちも、わかる気がした。…うーん、違うな。その気持ちって、あれ、こういう状態かも?と、触れられたような…。前から気になっていた知りたいことに、ほんのすこし近づけたような、そんな感じよ。うん。
また同じ曲を、何度か聴きに行きたい。


いつか行きたい・やってみたいと思っているだけじゃ、いつまでも、ずっといつかのままで居座ってしまうから。
今年もはじまってだいたい半年、そして残りほぼ半年。
いつ行こう・やろうと、好きなとこならなかば強引にでも決めてしまって、話を進めちゃうことも大事だなあと感じた。そうして考えている最中から、ワクワクしてくるしね。ぐんぐん広がってさ、わたしが一番にびっくりだよ。

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