初期に手がかかる学びのススメ
こんにちは!大橋しんです。アレクサンダーテクニーク教師そして理学療法士として人の体と心をふんわりさせる仕事をしています。
今回は初期に多少面倒がかかる学びの方が素地がしっかりして後々の力になるよ、という事とその理由をお話しします。
ちなみに今回の話はアレクサンダーテクニークに限らずの事だと最初にお伝えしておきますね!。
簡単・シンプル・誰でもすぐできる(効果がある)!という習い事。
そんな文句にすぐつられてしまう僕らを巨大な仕組みがリードしている現代社会。
分かっていても面倒なものよりそちらについ手が出てしまいますよね。
僕だって広報にはこれらを匂わす文言を使わない事もありません。
例えば僕の太極拳教室は「覚えなくていい」「練習しなくていい」「上達しなくていい」を標目に掲げています。
しかし僕は密かに「とても長い道筋の学び」を、この釣り文句の裏に仕込んでいます。
「覚えなくていい」は「他人と比べるのを抑制する」。
「練習しなくていい」は「生活自体が気付きであふれる」。
「上達しなくていい」は「今・ここで満ちている」。
どれも答えはないし終わりもないし手応えを感じるには長い時間がかかるし、誰かが評価してくれるアテだってありませんね。
これらコンテンツを学ぶために、その学び場のコミュニケーション・ルールという「初期手続き」を学ぶことになり、コンテンツが堅実であるほど初期手続きが煩雑になります。
曲解のリスクを減らすためです。僕もガッツリここを(楽しく!)やります。
僕の学んできた楽器にしろアレクサンダーテクニークにしろ太極拳にしろ、学びの初期手続きがすっごく手のかかるもので、最初の一歩さえなかなか踏ませてくれない。
そして続けるにも時には苦悩を伴ったり。
だからこそ僕の人生にしっかりと喰い込み、一体化している部分もあるくらいアイデンティティの表現に参加してくれている…人生のイベント・アクシデントを乗り切るのに、役に立っているという事です。
ノウハウを教えてもらってその通りにやったらパッパッパっとできてしまうものとは真逆なもの。
初期手続きに煩雑なもの、最初のフレッシュな高揚感が過ぎた後に「思ったより手強いな」「面倒だな」「退屈だな」と思うものこそ続けるべき習い事としてオススメしたいです。
が、人が簡単なものに手が出てしまうというのは個々の特性によるものではない事を承知していて、僕は伝え方のバランスを取ってそのバランス取りが妙技になるくらいまでやってみることに今はチャレンジしています!
この事についてはまた折に触れてお話しします。ではでは。
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