見出し画像

墨田区の北端【酎ハイ街道】で飲み歩きしてみたら記憶がなくなった 前編

『墨田区の北端【酎ハイ街道】で飲み歩きしてみたら記憶がなくなった』
前編 https://note.com/oharan/n/nb853ec442567
[酎ハイ街道飲み歩きツアー参加者]
館長(スカラビジョン経営者・Tシャツラブサミット主催者)
https://twitter.com/ningendojo
橋本智広(漫画家・ついこの間までトネガワ描いてたひと)
https://twitter.com/hashimotosan84

私は板橋区の専門家を名乗って何冊も本を出しているが、実はいま墨田区に住んでいる。元は板橋生まれの板橋育ちだったのだが、子供の誕生を機に、何かあった時に親を頼れた方がよかろうと、女房の故郷に移り住んだのだ。

そうして墨田区は両国に移り住んでもう6年、今ではすっかり墨田区ライフを満喫している……と言いたいところだが、この墨田区ってのがひとつの区として語るには無理があるほどコンテンツ盛り沢山なの。

そもそも、北と南で完全に文化圏が違うし、何だったら南北を結ぶ交通網が区営バスくらいしかなくて、南に住んでると北の事情が分からないし、北に住んでると南と無縁なのね。
むしろ南部と北部に加えて、スカイツリーのある中部、さらに亀戸線沿線の東側と、4分割して考えるべきだと思う。それくらい区のどこに住んでいるかで景色も事情も全く違うし、何だったらその土地が歩んで来た歴史もまるで違う。

今回も順調に前置きが長くなったが、そんな「大して広くもないのにややこし過ぎる墨田区」には、国技館や江戸博といったメジャースポット以外にも、知るひとぞ知る ”遺産” が隠されている。

そのひとつが今回ご紹介する ”酎ハイ街道” だ。

何でも酎ハイ(焼酎ハイボール・下町ハイボール)は、墨田区の北端の荒川と隅田川に囲まれた一帯で誕生したものだという。
そうした酒を出す店が八広駅と鐘ヶ淵駅を結ぶ通りの周辺に点在していた事から、酎ハイ街道と呼ばれるようになったそうな。

今は昔ほど店が残っていないそうだが、それでも 「”酎ハイ” に関してはこの土地を知らずして語るな」 と言われるほど独特の文化が色濃く残っているのだとか。

画像1

という訳で、飲兵衛な友人を誘って酎ハイ街道を練り歩くぜ!と思い立ったはいいのだが、さっきも言ったように墨田区の南部から鐘ヶ淵~八広ってどう行けばいいんだよ……。

チャリンコか?

いや、いやいや、これからしこたま酎ハイを飲もうと言っているのに飲酒運転ダメ、ゼッタイ!

色々と思案した結果、両国からだと浅草橋まで出て、そこから浅草線で八広駅というのが最も快適そうだという事に。
では今日は八広駅から鐘ヶ淵駅方向に歩きつつ、目に付いた店に入るという計算され尽くした完璧な作戦(基本アドリブ)で攻めてみよう。


画像3

そんなこんなで酎ハイ街道に辿り着くまでが一苦労だったのだが、着いたら着いたでお目当ての店に入れて貰えないというアクシデント発生。

なんでも「ごめんなさいね、コロナもあってお連れさんがいる時は2名までにしてるの。お友達が大勢いるとお喋りで盛り上がってしまうでしょう」とのこと。

なるほど、残念だけど事情はとてもよく分かった。そうだよね、地元の常連客で成り立ってる店に、おのぼりさんが徒党を組んで押しかけたらそりゃ迷惑だわ。しかもこんな時期に。

だが、店のお母ちゃんがいいひとで「あの店ならウチより広いから大丈夫よ」と、代替案をいくつか教えてくれた。

※ちなみに上の写真は夜も更けてから帰りがけに撮影したものです

画像2

こちとら炎天下をほっつき歩いて飲む気満々だったので、丸好酒場に入れないとなった瞬間はピリっとしたものの、そこから歩いてすぐの場所に次の酒場があったため事なきを得た。

画像4

パっと見て、建物自体はそれほど古くなさそうだと感じたのだが、中に入ったら ”ド” が付くようなレトロ空間。

これ、こういうの!
丸好のお母さん、教えてくれて有り難う!

ここから先は

1,046字 / 3画像
[料金] 500円(月) [更新頻度] 2018年11月の開設以来、毎月約20本の記事を掲載しています マガジン購入者限定のネット配信番組なども思案中ですので、ぜひ応援よろしくお願いいたします。

月刊汁マガジン

¥500 / 月 初月無料

元芸能記者、元AV監督などなど流浪の人生を送るフリーライター荒井禎雄が、時事ネタ・地域批評・グルメなど様々なジャンルの記事を書いています。…

皆様からの金銭サポートがあると、子育てに追われる哀れなオッサンの生活がいくらか楽になると思わせておいて、息子の玩具やお菓子や遊園地代で殆ど溶けます。