貧困支援団体の失敗の歴史 その1
『貧困支援団体の失敗の歴史』
その1 https://note.com/oharan/n/na50a9eb35b6f
その2 https://note.com/oharan/n/n57815f6379a3
NGOスタッフへの取材を思い出す
私は以前、とある仕事の関係で、世界規模で活動しているNGOのスタッフに取材をした事があった。
ちなみに、そのNGOとは胡散臭いフェミ界隈の団体ではなく、もっと根源的な 「人命・人権全般を大切にしましょう」 という思想の下に運営されている老舗団体だ。
取材に応じてくれた方(日本人)は、国境・国籍を超えた人道的支援活動に関して初歩中の初歩の段階から丁寧に教えてくださり、最終的には 「私達が積み重ねて来た失敗の歴史」 まで包み隠さず語ってくださった。
しかも「ウソがないように」と、たくさんの資料(紙)を用意してまで。
何でも国際会議的なものがある度に、成功も失敗も含めた活動内容に関する情報交換が行われているらしく、このスタッフ氏は「成功例より失敗例の方がより重要」と考え、私ごときにそうしたデータの中でも特に特徴的な物を伝えてくださったのだ。
ここ最近、日本でも米国の黒人差別問題を発端にした大規模なデモや、暴動・略奪行為のニュースが連日報じられるようになったが、私はそうした報道を見る度に、あの時教えて貰った ”失敗の歴史” を思い出してしまう。
結局のところ、米国の失敗というのは、世界的なNGOが過去に経験して来た失敗の積み重ねの上にあるに過ぎないのではなかろうか。
「黒人差別を、人種差別を無くしましょう」まではヨシとして、その具体的な方策が大間違いだったのではないだろうか。
という訳で、今回はあの時あの場所で教えて貰った話を可能な限り思い出しつつ書いて行くので、皆さんも差別問題や貧困問題ってなんだろうと、色々な角度から考えてみて欲しい。
※ ご注意
今回は、いわゆる人権派的な思想を持つ方にとっては気に入らない内容になると思われるので、ブラウザを閉じる事をオススメします。
なんせ、この話は相手に迷惑がかかるので取材相手の名前を明かせず、また資料なども身元がバレるので 「コレ」 というものを提示できません。
よって、意見の異なる第三者から見ると、私が勝手に作り話をしているようにしか思えないでしょうし、そう思われてクレームを入れられたところで、私は反論する気もありません。何を言われようとガン無視します。
そういう不毛な状態に陥る事が目に見えていますので、ダメだなと思ったらそっとブラウザを閉じてください。
という訳で、注意はしたからね。
実は、過去に何度かこの話を自分のブログやWEBメディアに掲載した事があったのだが、その度に炎上してしまった。
というのも、”正義病” を患っている運動大好きっ子ちゃん達が、自分がディスられたと思い込んで、超粘着質に攻撃して来るのである。
何と言うか、何を言われようと病的なまでに千羽鶴を送り付けたがるヤツっているじゃん。あれあれ。
どうせ今回もその手の浅はかなバカ(おっと)が難癖付けて来るのだろうが、めげずに何度でも同じ事を言い続けよう。
人道的支援が招く悲劇
皆さんも24時間テレビに代表されるようなテレビ番組で、様々な支援活動を目にした事があると思う。いわゆる 「恵まれない子供達にうんちゃらかんちゃら」というヤツだ。
貧困にあえぐ海外の村に学校を作りましょうだとか、井戸を掘りましょうだとか、私が子供の頃からその手の番組を嫌というほど見せられて来た。
ところが、そうしたテレビ局主導の ”人道的支援” の結果までは中々報じられない。過去にほんの何度(1~2回程度?)か「〇〇年前に作ったアフリカの××はいま」のようなコーナーを見た記憶はあるのだが、そんなのは超レアケースだと思われる。
実例を挙げよう。ある時あるテレビ局が、貧しいアフリカの村に学校を作ろうと企画した事があった。
国内外の支援団体と提携し、撮影スタッフや芸能人を送り込み、順調に番組制作は進み、無事に学校は完成。子供達が笑顔で勉強をするシーンでその番組は幕を閉じた。
ところが、その後に起きた悲劇は一切報じられる事はなかった。
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皆様からの金銭サポートがあると、子育てに追われる哀れなオッサンの生活がいくらか楽になると思わせておいて、息子の玩具やお菓子や遊園地代で殆ど溶けます。