貧困支援団体の失敗の歴史 その2

『貧困支援団体の失敗の歴史』
その1 https://note.com/oharan/n/na50a9eb35b6f
その2 https://note.com/oharan/n/n57815f6379a3

バイオ燃料の原料を育てた農民がリンチ死

前回はテレビ局とNGOとがアフリカの村に建てた学校が、スタッフらが帰国するや地元民の略奪対象になり、あっという間に破壊され尽くしたという話を書いた。
だが、そんなのはまだカワイイ方で、中には死人を出したケースもある。

少し話が前後するが、一昔前の貧困支援というと、裕福な国で金を集めて、その金を(場合によっては物に換えたりして) ”かわいそうなひとたち” に配るという方法が主流だった。
未だにテレビCMで「世界にはこんなにかわいそうな子供達が」と煽っているが、あんな手法で寄付金を集めてひたすら配りまくるというのが、旧型の貧困支援だったのである。

ところが、そのやり方ではキリがなく、全く貧困問題が解決しない事が分かった。そこで、いつからか「現地で経済活動が出来るようにしよう」「フェアトレードしよう」という考え方が主流になっていった。

そこで注目を浴びたのが、サトウキビや芋などのバイオ燃料の原料だ。

これは食用ではないため「土地が痩せていて味が悪い」といった難点は問題にならない。品質のハードルが食用の農作物に比べれば圧倒的に低く、作れば作っただけ買い取って貰えるのだから、貧困の村にありがちな「農業すら満足に行えない土地」であっても、生まれ変わる可能性が大いにある。

さて、ある時支援団体がこのバイオ燃料の原料を育てましょうと、とあるアフリカの貧困村に話を持ち掛けた。

ところが、前にも書いたが貧しい村というのは教育も施されておらず、その手の新しい試みを提案しても 「理解出来る人間がいない」のだ。

それに「外国人が来た」となると、その土地の人々は何か貰えるものと思い込んで集まって来る。食べ物なのか、金品なのか、そういった物をその場で恵んで貰えると期待して集まったのに、実際は食べられもしない謎の植物を育てろなんて意味の分からない話をされたら、そりゃ話を聞く人間などいなくて当たり前だろう。

そうした事情から、この時はほんの1~2人が「試しに」とやってみる事になったそうだ。支援団体からすれば、その人達の成果を見て貰えば、他の人々も協力してくれるようになるだろうと思ったのだろう。

ところが、この考えが大間違いだった。その団体は、貧しい人々の貧しい思考がいかなるものか、全く理解出来ていなかったのである。

まず結論から言うと、バイオ燃料の原料を育てさせ、それを収穫し、フェアトレードで海外に売り、お金にして貰うという、一連の 「経済を根付かせる」 という計画は、途中までは成功した。

いや、より正確に言うと成功し過ぎてしまった。

協力した村人はそれまでの村の生活では考えられないほどの収入を得る事ができ、ほんの何か月かで村で最も裕福な家となり、そして嫉妬に狂った他の村人達からリンチ・略奪を受け、殺された。

厳密に言うと、この村人が作物を育てている間も、幾度となく嫌がらせがあったそうだ。その村では「白人に騙されて食えもしねえ意味の分からない物を育ててるバカ」として扱われ、日常的に畑を荒らされるとか、暴力を振るわれるといったイジメが横行した。

前回の記事にも書いたように、こうした貧困の村に住む住民というのは、外国人が見張っている間は何もせず大人しくしている。暴れて嫌われたら物が貰えないという ”乞食根性” があるからだ。

ところが、このケースでは協力してくれる村人と団体スタッフが1~2か月程度生活を共にしたようだが、その間に作物の育て方などを伝え終え、後は収穫まで頑張ってねと、スタッフ達は全員帰国してしまったそうなのだ。

団体スタッフらがいなくなった途端に、イジメや嫌がらせが始まったそうだが、それまでバカ扱いしていた村人が一回の収穫物の売買で村一番の金持ちになってしまった瞬間に、その村の貧しき人々の感情が爆発してしまった。

これもまた 「貧しさとは何か?」 というひとつの答えである。

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