つい先日、いわゆる ”アメトーク西成問題” についてTwitterでああだこうだツイートしてみたところ、予想外にRTされてしまった。
twitterだと仕様上あまりに言葉足らずになるので、noteの方に一連のツイートをまとめ、補足しておこうと思う。
https://twitter.com/oharan/status/1119831921733726215
※ 発端
実体験から、西成・あいりん地区という街の今について語ってみた。
あの街を他の街と同じように 「安心・安全」 といった言い方をしていいのかどうか。
だが、この時点では単なる差別発言と受けられても仕方がない内容だったため、予想通り「差別だ!」というリプが飛んで来た。
私とて何も考えがないまま差別的な言動をした訳じゃない。それなりの考えがあって言葉を発している。
何でもかんでも差別だと騒げばいい、そうすれば正義のひとになれると思い込んでいるバカには分からないだろうが、時として安易な差別認定は逆効果になる場合もある。
それを重々分かった上での、ツリーの一番上のツイートだ。
だがふと気づいた、もしかして西成のひとって「あいりん地区と一緒くたにされるのが嫌」なんじゃないのかと。そのケースもあるに違いないと思ったので、厭味ったらしくこんなツイートを。
結局、こういう ”お気持ち” に配慮しようとなると、「面倒くさい案件には一切触れない、一切合切隠蔽する」ってのが話が簡単なんだよな。
果たして本気でそれを望むのかね?
これは私が得意とする分野でもあるスラム論。なぜスラムがそこにあるかと言えば、その必要があるからだ。とても単純な話なのだ。
スラムとしての役割を終えたら、そのスラムは自然と解体され、跡地はごく普通の街になる。
私が生まれ育った板橋区の元宿場町もまさにそのものがあった。今は板橋本町商店街という、半分商店街・半分マンション街という商店街があるんだけど、その中ほどに縁切り榎という古い謂れを持つ榎がある。
その一帯が、戦前~戦中にかけて東京屈指の貧民窟だったのだ。
板橋の貧民窟の場合は、王子や志村の工場(主に軍事工場)で働く人夫が集まり、そういう人々向けの木賃宿が増え、スラムを形成していった。
そして戦争が終わって、工場も閉鎖され、働き口が無くなると、板橋スラムも自然と解体され、単なる平和な商店街へと変貌した。
この辺りの話は、小板橋二郎さんという業界では有名なジャーナリストがこんな名著を書いてくれているので、それをお読みいただきたい。
なんと、小板橋氏は実際にこの板橋スラムで生まれ育った方なのだ。
西成の問題を本気で考えるならば、まずはこの一冊は読んでおいた方がいい。スラム問題って差別だなんだとかいう次元の話じゃないんだよ。
で、最後に蛇足ながら、私が過去に伊藤和子弁護士の秋葉原ディスに対して向けた言葉を、そのままぶつけてくるヤツがいるだろうなと思い、先に釘を刺してみた。
アメトーク・TV朝日は、テレビ局という立場上謝罪するよりなかったのだと思うが、問題なのはこれ幸いとテレ朝を叩いている側の連中である。
その中には薄っぺらい「差別はよくない!」なんて意見だけで記事を組み立てているヤツもおり、その薄っぺらさと無責任さが何を招くかまで考えられていない。それがメディアの、報道のやる事なのだろうか。
メディアが無責任に「あいりん地区は今はもう安全な街です」なんて言ってしまっていいのかよ?
それを信じて、乗せられて、現地でバカな事をしでかす人間が現われたら、何か責任を取るつもりがあるのか?
結果的に、それこそあいりん地区を更なる窮地に追い込むんだぞ?
「叩きやすいから叩く」を繰り返すのはもう止めにしないか?
ただでさえ貧しくなってしまった日本が、オツムまで貧しくなる一方だ。