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[過去記事掘り起こしシリーズ] ”萎縮”がどれほど愚かな事態を引き起こすか分かる実例

同じ事を何度も書くの辛すぎ問題

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手前味噌すぎる上に、私以上に汗を流して来た方々が大勢いらっしゃるので、こんな事を自分で言うのも恥ずかしいのだが、私はもう何年も前から表現規制問題やインターネットを利用する際のリテラシー問題などについて、紙媒体やWEB媒体に執筆して来た。

それゆえ、ツイフェミが大暴れする度に「表現の自由とはなんぞや」という基本中の基本を何度も書くというのはとてもしんどい。

例えば、このnoteに限っても以下の3つのような「これが基本だよ」という記事が何本もあり、他媒体に送った原稿を含めると何十本になるか……。

『息子が見ていたTV版ドラえもんのお話が的確かつ鋭利すぎて……』
https://note.mu/oharan/n/nb47a35de2bcf
『性的消費ってなあに?』
https://note.mu/oharan/n/n53608cd57574
『なぜ嫌悪感を抱く表現であっても守らねばならないのか』
https://note.mu/oharan/n/n42140c8b45fd

言葉を選ばず言うと、もういい加減何度も何度も何度も何度も同じ事を言うのがバカバカしくなっているのだ。

とはいえ、狂人どもの暴走をそのままにしておく訳にはいかないので、今後は折を見て過去に掲載済みの原稿をこのnoteにアップしようと思う。
ただし、現在も媒体に掲載されている記事をアップしては不義理になるので、ここに上げ直す原稿は、もう寄稿先のサイトからデータが消えてしまっているような古い物だけになる。

”萎縮” が招く本末転倒の事態

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今回取り上げたいのは、児ポ法に絡んだ「業界の萎縮」によって、本来守ろうとしていたはずの対象が守れなくなるという、笑い話にもならない本末転倒な実話である。

ちなみにこれは2014年4月にある媒体に掲載された記事なので、今の状況とは少々違う点もあるが、6年も前という事を頭に入れた上でお読みいただきたい。

先にざっくりと内容を説明しておくと、かれこれ数年前に、実の母親によって児童ポルノ被害に遭った女性が、自らの体験を元に作り上げた「ヴィオレッタ」という映画があった。
この作品には、一部に未成年者によるセクシャルなシーンがあるものの、被害者自身の告発や問題提起という意味合いが大きいため、ヨーロッパなどではその意をくみ取って「問題なし」と上映されていたものだ。

ところが、これが日本に持ち込まれた途端に話がおかしくなった。

レイティングなどを審査する映倫が、よりによって「審査区分外である」と有り得ない判断を下し、普通の映画館では上映できなくなってしまったのだ。

これは映倫が「児童ポルノ法」を理解しておらず、自らの責任で判断する覚悟もなく、「審査区分外」として責任放棄しようとしたという全く笑えないお話なのである。

これにより、一時的ではあるものの「児童ポルノ被害者が、自ら経験した児童ポルノ被害を告発する事ができない」という、意味不明の事態を巻き起こす事になった。

現在フェミらがヤラかしている事というのは、この児ポ騒動の時代にもあった「法の拡大解釈と、それによる各業界の萎縮」を引き起こすものであり、これを野放しにしておくと、第二第三のヴィオレッタが産まれ、守るべき者が守れなくなってしまう。むしろ被害者の口を塞ぐ事になってしまう。

それこそが萎縮や表現の不自由の最も怖い点なのだ。

【児ポ法怖さの萎縮か?】児童ポルノ被害者の自伝的映画がレイティング外にされる本末転倒ぶり

※2014年4月の記事

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 児童ポルノ法の改正案は、マンガ・ゲーム・アニメなどの二次元作品を除外し、単純所持禁止だけは認めさせるという方向で決まってしまいそうだ。 これについては再度別記事として寄稿する予定だが、今回取り上げるテーマは ”児ポ法改正を控えた日本の本末転倒すぎる萎縮ぶり” についてである。

 一昨年(2012年)に、子供時代にカメラマンの母親によってヌード写真集を発売された女性が、損害賠償とネガの引き渡しなどを求めて実母相手に裁判を起こしたというニュースが話題になった。

 母親の名前はイリナ・イオネスコといい、モデルとなった娘の名はエヴァ・イオネスコという。 エヴァは母親の被写体以外に女優としても活動し、12歳の時に局部をさらけ出してセックスシーンを演じて大問題となったこともある。

 このエヴァ・イオネスコが、自身の経験を元に自伝映画を制作した。 己の欲求を抑えきれず娘のヌードを撮り続ける母親と、母の欲望に振り回されつつも、憧れと憎しみの両極端な感情を抱く娘の葛藤を描いた作品だ。

『ヴィオレッタ』
http://violetta-movie.com/

 この映画はカンヌ映画祭で賛否両論の評価を受けるも、フランスでは年齢制限のない映画として劇場公開された。 しかし日本では映画倫理委員会が ”審査適応区分外” としてしまい、一時は普通の映画館で上映ができなくなるという騒動があったのだ。

[映画のレイティング]
G(年齢制限なし)
PG12(12歳未満は保護者の指導・助言が必要)
R15+(15歳未満は入場・鑑賞禁止)
R18+(18歳未満は入場・鑑賞禁止)

 審査適応区分外とは上記のレイティングの中には含まれず、このような区分からも外された作品である。 言い換えれば 「審査すらしない」 ということなので、R18+よりもさらに過激な内容と看做されたと考えていい。

 映倫によると 『ヴィオレッタ』 は 「未成年者の性的な描写を思い起こさせるから審査適応区分外だ」 とのことだったのだが、先に述べた通りフランスではG(グリーン・年齢制限なし) として劇場公開された作品である。

 それもそのはずで、この作品は監督自身が児童ポルノの ”被害者” であり ”加害者” は実母である。 児童虐待などで最も深刻な、そして最もよくあるケースを実体験した人物なのだ。 そうした過去があるからか、監督は 「自分のような経験をする子供を増やしてはいけない」 と、劇中で主役の子役にはなるべく肌の露出をさせず、また問題が起きないようカウンセラーを準備するといったあらゆるケアを行ったという。

 だが被害者自身の実体験を描いているのだから、シナリオにはどうしたってエロチックな箇所も出てしまう。 しかしそれは実在児童が犠牲になる虐待などの問題提起であるし、映画という表現手段は世間に対する啓蒙にもなろう。 だからこそフランスでは 「年齢制限の必要なし」 と判断されたのだ。

 ところが、映倫は 「性的な描写を思い起こさせる」 という理由でレイティング外としてしまった。 悪く言えば審査拒否だ。 『ヴィオレッタ』 がピンク映画やAVよりも過激と言っているようなものだが、これはまったくもって言っている意味が解らない。 「性的な描写がある(実際に子供がヤラれている)」 というのであればレイティング外になろうと違法な映像と看做されようと文句はないが 「性的な描写を ”思い起こさせる” からダメだ」 と言うのである。

 そんなことを言ったら、幼女がペットボトルのジュースを飲んでいる姿を見て 「性的な描写を思い起こす」 変態紳士だっているだろう。 だったら作中で子供がジュースを飲んでいる映画はレイティング外になるのだろうか? ソフトクリームやフランクフルトを食べているシーンなど、AVなどでも性行為を思わせる描写として使われる表現だから、見つけ次第打ち首獄門にせねばなるまい。

 さすがに今の喩えは我ながら強引すぎるとは思うが、映倫の言い分は 「映画という文化に携わる者」 として非常に恥ずべき内容である。 「本当に中身を見て判断したのか?」 という疑念すら抱いてしまう。 普通にセックス描写(濡れ場) や暴力描写がある程度ではR15+だろうし、ハードなセックスや暴力、または麻薬使用を肯定するかのような描写があったとしてもR18+に収まるのが通例なのだ。 それがセックス描写や未成年者のヌードがなく、むしろ児童ポルノ被害者による問題提起と受け取れ、海外では普通に年齢制限なく上映されたこの作品をレイティング外としてしまうのは、”逃げ” や ”萎縮” と決め付けられても反論できないだろう。 どう考えても 「児ポ法が怖かった」 以外に答えが見付からないのだ。

 そしてこの話には続きがある。 当然の事ながら映倫に対して抗議の声が多数寄せられ、再審査するということになり、最終的にR-15+に指定(これにもまだ不満はあるが) され、無事に劇場公開に漕ぎ着けることができたのだ。 結果だけ見たらめでたしと言えなくもないが、一度はレイティング外になったという事実は消えない。

『来日した主演の美少女を直撃 映画「ヴィオレッタ」の非児童ポルノ認定に監督は“ホッ”』

 映画倫理委員会(映倫)は本作に「児童ポルノと指摘されかねない描写がある」として、年齢制限のレイティング(指定)が不可能な「区分指定適用外」と判断、配給会社のアンプラグド(加藤武史代表)が再審査を要求していた。このほど再審査委員会が開かれ、前言を撤回して「R15+(15歳未満は観覧禁止)」に指定し無修正での上映を許可する決定が下された。独自に入手した映倫の「決定書」によると、前述の描写やヴィオレッタの下着姿、写真撮影でポーズをとる場面は審査方針にある「性的な裸体描写」に該当しないとし、こう結論づけている。「児童ポルノを称賛するかのような母親の行為に対して娘が強く反発して自立してゆくという、児童ポルノ自体に否定的な描かれ方がされている。区分適用外として公開の道を事実上閉ざすことは、表現の場をできるだけ確保するという当委員会の使命からも相当でなく、『区分適用外』と判断することはできない」。

(MSN産経ニュースより引用)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140418/ent14041819260019-n1.htm

 何のために ”児童ポルノ” という言葉が生まれたかと言ったら、「実在する児童を性被害から守るため」 である。 それなのに性被害の実体験を告発し、問題提起を行っている作品に対して、一度は 「児童ポルノである」 としてしまった映倫の判断は恥ずかしいにもほどがある。 まさに本末転倒だ。

 こうした意味不明の萎縮があるからこそ、児ポ法反対派は 「単純所持うんぬん以前にゾーニングがあやふや過ぎる」 「各業界がいらぬ萎縮をして文化が滅びる」 などと反対していたのだ。 様々な専門家が散々主張していた、そして 「ロリコン擁護だ」 と無視され続けた 「現状の児ポ法の考え方では守るべき子供が守れない」 という指摘は、まさにこういう可能性を指していたのである。

 この 『ヴィオレッタ』 を巡る騒動によって、我が国では児童ポルノ法と、それに怯え勝手に萎縮する業界によって 「児童ポルノ被害者が自身の実体験を元に問題提起することもままならない」 ということが示されてしまった。

 結局のところ、児童ポルノ法は今のままでも法改正が成されたとしても、臭い物に蓋をして見て見ぬふりをする以上の働きが期待できないのかもしれない。 いったい誰が為の法律なのだろうか?


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