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味噌を作りました


味噌を作りました。


3日前に畑で大根を抜きすぎて

保管場所に困って

冷蔵庫に入れてあった味噌づくりセットを

とうとう使わざるを得なくなり、

作りました。


大根が大量にやってこなかったら、

生協で頼んだ味噌づくりセット、

来年まで寝てたかもしれません。


自分1人でやろうとすれば、

私には、ままあることです。


味噌をつくるという固い決意で

日にちを決めなければ、

誰にも要求されていない、

半年先の出来上がりのもの、

おまけに市販品でまかなえる、

というジャンルのものは、

後回しにされがちです。


そんな私が、なんで味噌をつくるのか。

理由は実ははっきりとはわかりません。

買えば良いのにね。

私の実家でも、味噌は買うものでした。


でも、自分で味噌を作りはじめたきっかけははっきりしています。

10年前の3.11でした。

当時東京の片隅に住んでいて、

直接的な目に見える物理的損壊はなかったものの、

もれなく原発事故由来の放射性物質とやらは降ってきていました。

「ただちに健康に影響はない程度」という

子どもを持つ親にとっては

意味不明なアナウンスが繰り返し流されていました。

これは批判とかではなく、単なる事実です。



放射性物質に対する数々の情報が飛び交う中、

1945年8月9日に長崎で被爆した秋月辰一郎さんというお医者さんが、

被爆直後に塩と味噌を食べ、

また周りの人にも食べさせていたことで、

その方たちの予後が明らかに良かったという話を知り、

私も発酵している味噌を大量に買い込みました。

玄米と味噌と塩を使って「塩辛い玄米のおにぎり」と「塩辛いカボチャの味噌汁」を作り、同病院の職員・患者たちに毎日、毎食与えたところ、原爆による症状(白血病、貧血ほか)が出なかった上、何十年もほとんどの人が原爆症を発症しなかったエピソードがある。のちに科学的に証明された。
Wikipedia秋月辰一郎より
〜それは、私が信奉しているミネラル栄養論とも一致する考え方であった。私は石塚左玄氏の桜沢式栄養学を学び、 自分なりに工夫して食用医学をつくり、みずから秋月式栄養論と名づけた。この考え方に立てば、食塩のナトリウムイオンは造血細胞に賦活力を与えるが、砂糖は造血細胞に対する毒素である。同じ野菜でも、カボチャはいいが、ナスはよくないということになる
—秋月辰一郎著『死の同心円』p.131「カボチャの味噌汁」


当時は東京でも余震も多く、

公共の放送からも私は全く安心などは得られず、

このまま本当にどこかのタイミングで

子どもと死ぬのかもしれないと

思いました。


電車に乗って、閉じ込められたら、

高速道路で、阪神淡路の震災のように道路が折れたら

そう想像すると

自分が実家に帰ることも、

車で迎えにきてもらうことも、

恐ろしくてしばらく出来ませんでした。


いや、いつだって、

生まれてきたものは老若男女関わらず、

自分の意図しない

不意の死と隣り合わせなのは本当で、

それもその時思い知ったのですが。


とにかく味噌は、

2011年当時の

私の安心材料の一つだったのです。


祈りとともに、

子どもに味噌を食べさせてました。

数少ない、私の出来ることでした。


発酵している味噌のストックを切らさない、

という習慣は、

10年間そこからずっと続いています。


自分で作ったのは、

今年で3、4回目くらいです。

去年、近所の仲間と味噌を作ってまだ記憶が残っていたので、

作る流れがようやく自分の中に入ったな、

と手応えを感じました。

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(ありがたい煮た大豆の味噌セット、使用済み)


なんで私が味噌を作るのか、

という最初の問いに対する答えは、


自分の希望と安心を

誰かから買うだけ、もらうだけではなく、


自分で作り出す力が欲しいから

かもしれません。


一から、でなくても、

出来る範囲で、自分で希望と安心を

作り出す力が欲しい。


だから性懲りもなく、

味噌づくりセットを毎年生協で注文しつづけるのでしょうね。

寝かせとくだけの熟成味噌セット10キロも

作らなかったときの保険に

買いながら。

今年は、大根に後押しもらって、

作れました。

来年もきっと作ります。

やっぱり自分だけでは難しいみたいなので、

日にちを決めて、1人でもいいから仲間を誘います。

美味しくなあれ!

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