自己流瞑想してみた第一日レポ
「無になることないの?」
とローティーンの子どもに言われた。
瞑想すると私が宣言して、瞑想の説明を大雑把にしたあとの言葉だ。
まさかこの子に「無」を語られるとは思っていなかった。
趣味がTV鑑賞で知ってる芸能人の情報をネットで収集するのが好きで、
口を開けばドラマ映画情報で、
とうとう洋画の吹き替え版の予告編でクレジットもでてないのに日本語版声優(俳優)を声だけであてられるようになってしまった、
我が子が「無」の状態を知ってるのに、
渋い趣味ばかりの私しゃ、
「無」になった記憶が生まれてこの方ない。
自分が何事も大体先輩であると思い込んでいた傲慢な母であった。
よおーし、早速、無にチャレンジだ!
とみんなが寝た後に、ひとりコタツに座って目を閉じた。
「無、無、無…」と心の中で唱えてたら、
懐かしの織田無道が脳内に登場してしまった。
違う違う違う、
連想ゲームじゃない、しりとりでもない、
しっかりしろ、私の脳みそ!
しかし、織田無道が脳内リピートで出てしまう流れが止められず、
昨晩は諦めて、就寝した。
翌朝目覚めて、布団の中で、
呼吸に意識を集中する瞑想を試してみた。
なるべく雑念がわかないように、
心で数唱した。
いーち、が2秒くらい。
ろーく、くらいで怪しくなってくる。
自分の集中力を、改めて客観的に感じた。
集中力、極短である。トホホ。
しかし、瞑想を習慣としてる人にアドバイスを乞うと、皆、
雑念は湧いても良い、
それを淡々と受け流すのだ、
と言った。
なんだ、極短でもいいのか。湧いてきたら流せばいいのか。
そう、全くの無になるのではない。
瞑想は湧くのを止める方法ではなく、
流す方法なのだ、と、
今日やっと頭で理解できた。
腑に落とすまでは、
続けるしかない。
湧いてきた想いを、淡々と流す、という技術を
私は身に付けたいのだ。
身体で、その穏やかさを、
理解したい。
とりあえず、簡単なところから、やってみよう。
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