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お墓のある土地にたどりつく・先祖をたどる旅⑩


ウニを食べた後用を済ませて夕方には八戸を出た。
青森県の八戸から南下していよいよ岩手県にはいる。

土地勘のない場所なので出来れば明るいうちに、とは思ったものの、

結局移動が夕暮れ時になった。

街中ではなく、
人気のない林の中やちょっとしたアップダウンを行くので

太陽の光がない恐ろしさはあったが、
行く道で

基本、対向車来たらオワリ(どっちかが果てしなくバックしないといけない)みたいな道は皆無だし、
うっかり落ちたら8割死ぬよね?みたいな深い谷沿いの道とか柵のない水路沿いの道もなかった。

基本、県道以上の道はほとんどの道がちゃんと対面で二車線あった。

山を越えて隣県に入るとかの山も、
高知県の地形でいったら丘もいいとこである。

高知は地形が厳しいな、と改めて感じた。

好きで道が険しいわけではなく、
地形の険しい場所に住むみんなが切望してやっとの思いで作った道が細かったり柵がなかったりするだけなのである。

そして初めて訪れた日暮れどきの土地が高知県の田舎の山のほうじゃなくて本当に良かった、と思った。

途中のコンビニでジャンクな夕食を買い込む。

言い訳だが、写真に載ってないおにぎりと
サラダも買った笑笑

岩手でとった宿は朝食付きのみにしたのだった。

ウニでお金を使ったので、その辺は貧乏旅行風にしてみた。

ひとり旅の気楽さである。

宿に着いた時は完全に真っ暗になっていた。

そこは母の育った町の、ど真ん中にあった。

やっと帰ってきたね、おばあちゃん。

市町村単位の自治体の中でも地区はいわゆる昔の村で、
母の育った地区からは少し離れているらしいが、
地区外でも親類があちこちにいたりして、
ゆかりがある土地には変わりない。

母に記憶がないだけで、
あちこちの土地は母や祖母を覚えている、かもしれない。
へんなことをいうが。

実際、宿のオーナーさんと話すと、
すごく人間関係が密なのを感じる土地だった。

高知でもそう思うことはあるが、
冬の厳しい気候と、もともと冷涼乾燥地ということで、かつて稲作不適地だったことでもたらされた飢餓の歴史が、助け合って生き抜くために、
人間関係の形式を密にしていったのかもしれない。

だから、ここでもうっかりするとどこの誰だかわかってしまうような気もする。

祖父の一族の墓は宿から徒歩圏内にあるらしい。

私はこの町で、祖父方と祖母方の両方の墓参りをすることをミッションの一つにしてきた。

物理的な墓に重要な意味があるかは、
賛否両論分かれるところだろうし、
私もお墓=故人とは考えてない。

お墓はあくまでも生きている人の為のものだと思う。
故人とのつながりを思い出すための、
コアなポイントの役目、みたいな。

どこにいても故人とはつながれるとも思うし、
 
つながりを思い出したくない人は、
墓の在処なんか忘れていいんじゃない?
そんなの故人の行いが良くなかったせいだし、
とも思っていたけど、

なんとなく最近、
そんな単純な話でもないのかもなあ、
とも思い直している。

まだ上手く言葉には出来ないけど、

死んだ後だからこそ、
死んでいる、と、
墓の前で確認することで
生きている人が、
そのつながりでもたらされた自分の命を
受け入れ直す機会になるような、

そんな気持ち。

つながりを断ち切りたい、
つながりを忘れたい、と思っても、
つながってるからこそ、
自分が生きている、という事実。

自分の命、
それを肯定するためには、
個人によって形はどうあれ
何かしらの先祖への儀式が必要なのではないかしら。

故人との関係を清算するのにお墓みたいなコアなポイントが必要がない人もいるし、
より良く生きるために必要な人もいるんじゃないかな、とも思えてきた。

(ちなみに私自身は地球の土に還りたいので樹木葬か海に散骨希望でーす。)

私にとっての儀式は、多分この旅行でやりたいと思ったこと、なのかもしれない。

ただ、お墓に参る前に私にはやりたいことがあった。


それは

二戸市、九戸郡にまたがる
折爪岳にのぼること、だった。

種差海岸でピアニカのときも、
なんでやねん、といわれても、そうしたかったから、というしかない、
ということが、
この旅を通してのコンセプトだったような気がする。

まだ母のふるさとに行くと決める前から、
いつか折爪岳にのぼりたいと謎に惹かれていた。

母からも祖母からも折爪岳のおの字も聞いたことがない。
ネットの時代に自分で検索して初めて出会えた山だった。

それは、私が次女を産んでから1人で細々と精神的に頼りにしてる弘法大師が
全国各地に伝説を残す湧水「弘法水」の北限が

「錫杖の泉」として
母のふるさとからそれほど遠くない折爪岳にあることで、
出会えた山だった。

山に登るとはいえ、山頂まで車で行ける山である。
それでも山は山だ。

早く寝ようとは思いつつ、
やっぱり疲れているのにあまり寝付けず23時くらいに就寝したのだった。








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