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安全基地のこと

幼い時に安全基地となる場所がなかった
アダルトチルドレン

私も例外ではなく、
子どもたちに愛されるという安全基地がなければ
愛情に飢えた羊のような精神面だったと思います

生まれてから家族と過ごす幼少期は
その子にとって安全でなくてはいけません

それは危ないことをさせないとか
怪我をさせないとかの意味ではなく、
心の安心感のことです

自分は受け入れてもらっている
自分は何もしなくても生きていていい
自分はお利口なこともできるし、イタズラもする
笑顔の日もあれば、大泣きする日もある

全ての自分に寄り添われて、認められると
信じることができる場所です

好きでいてもらうために努力する場所でもなく
顔色を伺う場所でもなく

自分の気分が上がっていても下がっていても
変わらずに自分という存在を
受け入れてくれる場所になります。


外の世界に冒険に行っても
どんな場所に探索に出かけていても
『戻って来れる場所』
受け入れてくれる場所が
心の安全地帯になります。


本来なら幼少期の家庭がその役割なんですけど
残念なことにアダルトチルドレンの暮らす
機能不全の家庭では安全な場所はありません。

しかし、大人になってからも
安全基地は作れます

例えば機嫌の悪い日があっても
酷いことを言ってしまう日があっても
変わらずに『おはよう』や『やっほー』や
『おかえりー』など
受け入れてくれる場所があることです。

私にとってはそれが自分の家庭で
子どもたちとの関係がそうです

私たちはそれぞれ別の人間なので
お互いに違うところもありますし、
噛み合わない部分も持ってます。
でも家族としてお互いを認め合い、
どんな時にも寄り添って話したり過ごしたりしている、この環境が、
私にとっての安全基地になりましたが

私はたまたま、子どもたちのおかげで
大切なものを失ったり
大切なものを壊したりしないで済みましたが、

安全基地を知らずに過ごしたアダルトチルドレンにとって、機能不全のサバイバル状態こそ
自分の居場所だと思い込んでるケースもあります

その場合、暖かく受け入れてくれる場所や
本音を話せる場所。
ちゃんと話し合いを持てる人間関係を
切って捨てます。

自分にとって都合のいい、コントロールや支配の効く場所。
自分の全てを受け入れさせる。
わからせる場所を探し続ける人生になります。

愛着も愛も安全基地も瞬間であらわれるものではありませんからね。。
ちゃんと自分を見て、相手を見て
自分も相手も理解していくような寄り添いなど
ある程度時間を重ねていかないと
構築されないので。。

時間をかけて
自分で自分の安全基地を見つけることができると楽になるかもしれません。


私にとっての安全基地は子どもたちでした
どんな時も私と過ごしてくれるし
隣にいるからと言って
嫌味を言うわけでもなく
いきなり怒ったり、いきなり不機嫌になったり
いきなり無視したりしない。。

もちろん、子どもたちだって不機嫌になるときも、怒るときもあるけど
それはしっかり理由があって、
なぜなのかわからないけど不安。。ってことが
子どもたちとの人間関係ではないので
私も思うことを伝えることができるし
健康な人間関係を築いているという安心感が
私の安全基地になったんだなぁと思います。

こう思えるまで長かったけど
よかった。
私は生きててよかったと思うし
自分の人生を諦めなかったことが
すごくよかったって。やっと思えて来てます。


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