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一等賞

私は、昭和57年4月34歳で結婚した。

女性が24歳で未婚だと「売れ残り」と言われた時代に
「売りに出した覚えはない」
などと嘯いて
9回の裏の滑り込みセーフ!
の結婚だった。

ありがたい事に5月
には子が宿った。

しかし、7月には未曾有の大水害が長崎を襲い500人もの人が犠牲となった。  2人とも無事だったが泥まみれの家を
片付けた後
別のアパートへの引越しとなった。
文字通りの猫の額ほどの庭のある古い木造二階建ての一階だったが,私たちのスイートホームだった。
大きくなるお腹に声をかけながらアパートの玄関先にある小さな小さな畑に種を蒔いた。
前日、商店街で襷をかけた女性から声をかけられて「よかったらお庭に蒔いてください」と小さな紙袋を手渡された貝割れ大根の種だった。
その後、可愛いい双葉の芽を出して見とれてたら,お腹の子がグリン❗️と初めて動きビックリした。

ここにも命の芽が育っているのだと感じた。
その貝割れ大根が朝の食卓に何度か登った頃、私は臨月を迎え予定日の
3月9日に無事長男は誕生した。
黄疸が出た為1週間遅れの退院後兄宅におせわになり、久しぶりの我が家(?)のアパートに向かった。
長男を抱き家の前で車を降り立った時、驚いた!
目の前にパーっと明るい黄色の菜の花がいっぱい風に揺れているではないか!

まるで「お帰りなさい」と言ってるようだ、「わ〜綺麗!どうして?菜の花が咲いてるの?」
と言いながら玄関にたたずみ思い出した。「ああ!貝割れ大根が大きくなって菜の花になったんだ!」
お産にあたっては
子供に黄疸が出て10日ばかり保育器から出られず入院は長引いたことがあり辛い思いもしたのだがそれらがふっと消えて癒されていった・
そして初めての子育てが始まった。
子供の成長を目にしながら一番幸せな日々だった。
そして初めての夏、
七夕用の笹を主人が用意してくれた。
短冊に願い事を書くそうだがさて何を書こうかと考えた。
願い事って書くから叶うものでもないなぁ
あの水害でも命ぴろい,無事にこの子を頂いただけでもありがたい。
晩婚なのに直ぐに生まれてくれて何億分の一の確率の中トップに辿り着いて、
生まれて来るわけだからすでに一等賞を頂いてる。「一等賞」と書いた。
翌日、お隣の奥さんから「一等賞ってな〜に?」と問われた。
主人と見合わせて
「ふふ」っと笑った。





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