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仕事と子育ての両立 ~ADHDっ子 中学2年生 その3

離婚して子ども達に苦労をかけている事は私自身が一番よくわかっている

「ホントにごめんね。」

と思うと共に、一生懸命働きました。

当時は保険外交員の仕事をしていました。

基本給と歩合給がある。

子どもがいて、正社員で働けて、社会保険もしっかりしているし、給料も明確。

やればやっただけ給料に反映される。

こんなにいい仕事はないと思っていました。

部長に

「私は最低でもこの金額稼ぎたいんです。」

と話して、

「じゃぁ、この数字はクリアしようね。」

と言ってもらってその数字をクリアするために頑張っていました。

毎月、毎月、給料計算してもらって、その数字をクリアするために働く。

そのうち自分でも計算できるようになっていました。

ここまで計算して仕事をしている人は他にいなかったんじゃないかと思います。

それくらい給料に拘って仕事をしていました。

新人の時からノルマ以上の仕事をして、会社からの評価も良かったです。

先輩方からも可愛がっていただき、後輩からはいろいろ相談もされるような存在になれていました。

私が新人の頃から第二の母のように慕っていた大先輩からは

「私の後を継いで、新人を育成するリーダーになって欲しい」

とまで言っていただき、その基準をクリアするために奮闘していました。


現実は仕事もプライベートもいっぱいいっぱい

家に帰れば戦いが待っている。

仕事で疲れたなんて言ってられない。

何かちょっとでも私が手抜きをすれば長女から責められる。

「絶対文句を言わせるものか!!!」

って、家事も手を抜くことなくやっていました。

疲れ果てて、誰にもバレないように涙を流しながら家事をしたことも沢山ありました。

それでも長女からしたら満足のいかない生活。

当時、長女が一番仲良しだったのはお父さんが社長という裕福な友達。

その子に合わせた生活を望む長女。

普通なら、その子と同じ水準の生活はできないとわかる年齢だろうけど、そんなの関係ない。

全ての不満は私に向けられてくる。

どこまでも追い打ちをかけられる日々。

怒鳴ったり、いつまでもねちねちと耳元で言ってくる。

気がおかしくなりそうな私は耳をふさいで必死にこらえていたけど、その手を無理矢理つかんで払いのけられる。

発狂しそうなのをこらえるのに必死でしたが、長女はそんな苦しんでる私を見るのが嬉しいのか、満足げに私を責め続けていました。

ずっとそんな状態だから、正直下の子達には最低限の事しかしてあげられない。

当時小学校2年生の次女がとてもしっかりしてくれていたのがちょっとでも救いでした。

小さいながらに空気を読んで大人しくしてくれて、わがままも言わず、年長さんの妹の面倒も見てくれていました。

それなのに長女は夜中に発狂することも多々。

「二人が起きちゃうから、お願いだからこの時間はやめて!」

ってお願いする私にはお構いなしに暴れる長女。

うるさくて起きてきた下の子達を見ると

「起きてくんじゃねーよ!!こっち見てんじゃねーよ!!!」

と怒鳴って泣かせる。

怖がる二人をなだめて寝かせる日々。

これだけ大騒ぎしていたら近所迷惑にもなっているはず。

いつ通報されてもおかしくない状況。


疲弊する精神状態

私の心はどんどん擦り切れていきました。

夕飯の後の洗い物をしている時にフッとめまいがするように。

この感覚は10年前に鬱になった時と同じ感覚でした。

「違う!違う!鬱なんて暇人がなるもんだ!鬱になんかなってられない!!!」

って、涙がこぼれそうになるのを必死に踏ん張っていました。

負けてたまるか!

今の私は悩んでる暇もない。

やるしかない。

ただただ気力で自分を奮い立たせて気づかないふりをするのに必死でいました。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆頂いたサポートは子ども達の笑顔のために大切に使わせて頂きます(*^^*)心からの感謝をあなたに…...♪*゚