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作品の構造上の制約によって受け手側が自動的に”センスよく”なるもの2選(+受験古典対策)

千葉雅也『センスの哲学』の感想です。半分しか読んでないのですが、そのタイミングでどうしても文字に起こしたいという気持ちに駆られて、1年以上ぶりにnoteを更新します。そして私はそこまで千葉さんのまめな読者ではありませんが、『現代思想入門』には多くの人々同様に、今までの自分の思考を、私レベルまでハードルを下げた状態で外部から言語化され、一人で目ん玉飛び出るほどおどろいていたのでした。


センスについての考えがめぐらされる中でキーワードとして出てくる「リズム」という言葉で最も落とし込んで理解しやすいのは当然音楽だと思います。私は月並みに音楽が好きですが、この本ではその話の続きに「意味の脱意味化」という言葉が出てきます。また、雑な切り取り方ですがそこに関連して「大きな意味を一旦保留して作品を鑑賞する」ことで、「小さな意味」を脱意味化してリズムとして捉えることができるようになる(かなり雑です)というようなことも書いてありました。

ここまで読んだ時に真っ先に私の脳内に浮かんだのはHipHopでした。

ジャンルの成り立ちからして「大きな意味」しかないとも言えそうなHipHopですが、後ろでただただ「カッコよさ」という形式のみでチョイスされなり続けるビートやサンプリングのループ、そしてそこに乗っているのはRhyme(韻)。私の好きなギャングスタ以降のRap/HipHopは意味なんてレベルじゃなくその人の”歴史”が歌詞に乗っかっている訳で、最早意味の洪水なわけですが、それは韻を踏むというある種の制約(強いられている訳ではないけれども)によってまさしく「脱意味化」されていると言えるような気がします。聞き手は、それこそリズムとして捉えざるを得ない。

即ち、HipHopの聞き手は”センス良く”ならざるを得ない。HipHopが好きな人にダサいはいない。とまで言えてしまうかもしれない。


このように、作品の構造上の制約によって、受け手側の態度がある程度決まってしまうものの中でこの『センスの哲学』に示された条件に自動的に該当してしまうものが、あるのだということ、それを思いました。

「センス良くなりたい人は、それらを摂取すればいいんじゃないかとも、思いました」。


映画でいうと主題、話の展開やおおよそのオチが決まっているもの、いわゆる「プログラムピクチャー」なるものは、センスが良い映画鑑賞の訓練にはもってこいだと言えるのではないでしょうか。「大きな意味」が決まっているために、その点において独自の見方をする必要性が皆無であり、大きな意味を見出したくなる欲望を我慢する必要がなくなるからです。1960年代の日本の任侠映画を何本か観れば、映画に全く詳しくなくても、その形式から生まれるリズムに注目して鑑賞することが可能だと思います。


そこから少し関連して、入試問題なんかで出題される部分の古典(漢文や古文)も、「~だからこいつは優れた(取るに足らない)上司だ、他人の上に立つに値する(しない)」みたいなものが大方であるが故に、問題を解きながら何かの”リズム”を感じている学生も実はたくさんいるのではないかと思います。これは勿論「押韻」という技法が存在している漢詩や、5・7・5などのリズムがある和歌の事を言っているのではなく、普通の文章にもそれが存在している、ということです。そんなことに誰も注目していないので、気づかれていないだけかもしれません。

それこそ、そのリズムをつかめるかどうかが、読解の鍵だと思うのです。つまりリズムに乗れば、高得点が取れるということです。


受験生の皆さん。
HipHopを聴き、任侠映画を観て、古典のリズムをつかんでください。そうすればきっと、志望校に合格できます。

頑張ってください。

あざます