王甘

音楽とお笑いと映画以外は、ほぼ日記です。

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若林正恭のあとがきと二人の三冠王

1か月以上、ほぼ毎日、新しい本を買ってはカフェで読む。まさに貪るように。 この2年間、乾ききった私が欲していたものが、本だったのだと思うと、本の虫だったと聞いている、あったことのない母方の祖父との血のつながりを感じ、否が応でも嬉しくなってしまう。 オードリーの若林のエッセイ『ナナメの夕暮れ』を読んだ。 以前noteで書いたかもしれないが、若林の初エッセイ『社会人大学人見知り学部 卒業見込』に感銘を受けた。それ以来、実はそこまでハマっていたわけではないオードリーの漫才をす

    • 玉虫色の季節

      私の中にある根源的な恐怖は「誰かの期待を自分が裏切る」ことにある。それが行き過ぎて、「期待」そのものに恐れをなしている。「期待の悪魔」がそこにいる。 それは、幾度となく期待を裏切り続けていた小学生時代のスポーツ活動に端を発するのかもしれない。バッターボックスや守備位置で。野球(やっていたのはソフトボールだが)をはじめ球技は当然ボールの行方に観客が多くの関心を集める。オフザボールの動きが大事なんて言って、それを注視するのなんて単なる逆張りだと、思う。特に野球(ソフトボール)は

      • 僕らの復讐(M-1グランプリ2022殴り書き)

        どうも。こんにちは。 今年も例年同様の盛り上がりを見せた漫才頂上決戦M-1グランプリの、超個人的感想をつらつらと述べていきます!私はお笑いは「大衆演芸」だと思っており、ある程度の”わかりやすさ”を求めております。それではよろしくお願いします! 敗者復活戦いやー寒そうでした。ほんとに。まず触れておかなければならないのは令和ロマンでしょうね。笑いの感覚基準としては比較的第七世代的でありながらも、あれをみて面白くないという人はあまりいないだろう、と思えるほどにハマっていました。

        • 今年のまとめ

          ちょうど先週あたりで、東京から地元に戻ってきて1年になる。時の流れは早いもので、それを象徴するかのように、「早いなー」とすら思わなくなっている。恐らくこれから、時のたつスピードは加速度的に加速するんだろうと見当がつく。 半年くらい前に、衝動的に今までTwitterで使っていたいわゆる「本アカ」を消してしまった。かなり衝動的だったが、一方で熟考の末の決断でもあったので、結局そのままアカウントは復活されず、本当に完全に消えてしまった。 とはいえ、なんだかんだで、いざとなれば復

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        若林正恭のあとがきと二人の三冠王

          無機質ディスクレビュー①The 1975『Being Funny in a Foreign Language』

          こんにちは。無機質ディスクレビューの時間です。 記念すべき第1回は先週リリースされたThe 1975のニューアルバム『Being Funny in a Foreign Language』です。話題作ですが、言い尽くされたこの言論焦土を無機質にレビューしていきたいと思います。よろしくお願いします。 はじめに:The1975との距離感 イギリスのバンドだそうです。僕は基本的にイギリスのバンドが好きなのでこれは非常に好感度が高いです。ただ、最近軽いファンになりつつあるオロノ(s

          無機質ディスクレビュー①The 1975『Being Funny in a Foreign Language』

          矛盾

          「心配事の9割は起こらない」。気にしすぎは体に毒だ、といいたいのだろうが、実際のところは起きる。 これは勿論個人差はあるだろうが、僕はいわゆる「嫌な予感」というものが当たってしまう確率が非常に高い。 そのために、その嫌な予感から導かれそうな少し先の未来にどうにか行き当たることのないよう、死力を尽くす。といっても、具体的に行動することはままない。 死ぬほど心配するのだ。 これはつまり、死ぬほど慎重になりながらも、流れに身を任せることである。1秒に1回、家族の位置や水深、

          東京の夜景

          「”明子”に生まれた時点で、私の人生はこうなるってきまってたんだなあって」 多田明子は部屋の天井のシミがまるで何か人の顔のように見える、とでも言い出しそうなくらいに目を凝らしていた。このアパートの一室の家主である佐山には背を向けていたのでよく表情が分からなかった。 「名前にそんな大層な意味なんてないよ」 フォローのつもりではなく、佐山が本当に思っていることだった。 「そう思うのは何か別の問題のような気がするな。つまり名前がどうのこうのじゃなくて、君は運命のようなものを

          東京の夜景

          ファンファーレと熱狂、人身事故、平凡な生活

          わけがわからんことも分からん、その渦中に生きている。 「もう」ということは、以前にはそこそこ言いたいことがあったんだろう。僕はそこまで熱狂的なファンではないので、大学生の時なんかは最早「気取ってんな」とすら思っていた。この肉声の主に。でも今は不思議とそうは思わなくなった。それは、自分が自然と、なるようになって同じようなことをうっすらと考えるようになったからだ。そうして、べたに共感して、今に至る。 人身事故は、ある意味で人為的なものだけれど、そのほとんどが現実問題、自分の人生

          ファンファーレと熱狂、人身事故、平凡な生活

          受動的欲求/恐れとカルト

          能動的であることは、受動的であることよりも大切であるとされている。千葉雅也『現代思想入門』を読めば、あらゆる価値判断の裏に暗黙の二項対立が走っていることに思い当たることができる。この場合、能動的であることは主体的であることに近く、また積極的であることに近く、それは向上心が”ある”ということに近く、つまりやる気が”ある”ということを意味する。これらは全て、肯定的な意味で用いられる「正解」の側の概念である。特に社会人になると、立場が上の存在から我々のあるべき姿についてこれらの言葉

          受動的欲求/恐れとカルト

          『読者に憐れみを』を読んで

          僕の周りでは何かと素直が話題である。 素直とは、自分の心に従うということである。決して、「他人の言うことに素直になる」なんてことはしてはいけない。大事なのは自分の気持ち、そして、自分で決断することにある。 「人生の選択において正解なんてない」なんていうけれど、言うは易しで、じゃあ実際それを実践できている人はどれほどいるだろう。何かしらの「正解」を念頭に置いて客観的判断をしている気になっているかもしれない。その客観視において、他人の判断を参考にすることはあれ、「他人の言うこ

          『読者に憐れみを』を読んで

          自分の興味に興味がない

          語呂が良いのでこのタイトルにしたが、「興味がない」はさすがに言い過ぎというか、かっこつけすぎかもしれない。 「自分」というものが何なのか、それを内側に求めてもしょうがないというところまでは分かってきたところである。が、自分の直感型の気質、もっと踏み込んで言えばその思考の浅さに辟易して、自分が「興味をもつ」ことの根本にある思想が浅ましく思えてならなくなっているのが、最近の自分であることを遂に公表できるまでになった。これは進歩だと言える。 だから「自分」という確固たるものが内

          自分の興味に興味がない

          とげ

          今こんな感じとはいえ、昔は僕も外で快活に遊ぶ子どもの内の一人だった。 特に仲の良かった幼馴染の家の近くにある、家の建てられる前の団地の空き地みたいなところで、置かれてる資材を駆使しながら、よく鬼ごっこやらケイドロやらやったものだ。ケイドロといえば、小学校6年生の時に学校で「泥棒」という表現が教育上いかがなものか、という理由でトムとジェリー、略してトムジェリと呼べと強制的に名称を変更させられたことがあったが、最近のなんでも規制したがる流れはあの時我々から始まったのかもしれない

          毒を食う

          毒を食うのは、誰の目から見ても明らかな弱点をなくしたいから。キルアinゾルディック家みたいなもの。別に毒を美味しいと思っている訳ではない。勿論毒というのは、私の苦手なものの比喩である。 大学生の頃に東南アジアを2週間周遊した。金がなさ過ぎて、なさ過ぎたのに周遊した(その時点での全財産をつぎ込んだのでテレビ番組でもないのに設定上限金額があった)ので、すべての宿は500円~1000円以内のドミトリーにした。そのレベルの安宿ともなると、シャワー室は「普通にゴキブリの出るトイレの便

          毒を食う

          逃げ続ける人生

          ゴールデンウィークが明けて、1週間何とか乗り切って、土日挟んでの月曜日。去年おそらくこの時期は、同じ会社で働く先輩社員(歳は同じ)が精神的に支障をきたし、遂に会社を辞めた頃である。 周りが慌ただしかったためにそこまで記憶に残ってはないが、例外なく私も波が激しかったような気がする。五月病に、罹患していた。 五月病は、様々な要因が重なっていることは言うまでもないが、そのことが身に染みて感じているのは今の私である。つまり今、なんとなく、心が重いようなそんなような曖昧な心の内だか

          逃げ続ける人生

          風呂が好き

          まどろみ(微睡と書くらしい)の時間。昼下がり。少し気温が上がってきたこのくらいの季節の、縁側のような半屋外の陰で一息ついているときに風が通り過ぎて、普段はそういうのそこまで敏感に感じられるたちでもないのに、さすがに気持ちいいなと思って、少しうとうとしてしまう。してしまいそうになる。 今の私がそうであるのは、何も時間帯、季節柄だけの話ではない。昼過ぎに温泉に行って入ってきたからである。 街のはずれにあるのにかなり洒落た温泉の、中庭式の露天風呂スペースにある、水温33℃の炭酸

          風呂が好き

          時間

          時間とはなにか。 電波時計は常に正しい時刻を表示しているというが、その「正しい」とはなにか。 何をもってセイコーソリューションズは時刻を決定しているんだろう。 その刻まれた、時間というのは、一体なんだろう。 時が経過するというのは、その繰り返される一日の積み重ねである。それが単位を大きくすれば年月になる。 年も日も、ループしている。いや、ループはしていないが、同じことを繰り返している。不可逆のループ。 それらをとことん細かくして、それを、その不可逆のループを刻んでいるのが