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【日記・記録】旅立った娘の話・・・0

2022年8月24日(水)夜、娘は旅立ちました。享年36歳。
乳がんでした。小5の男の子一人を残して・・・

・・・私自身が忘れないために、この日記を書いています。・・・

発症は、2016年5月頃。7月には、左胸全摘手術を行う事になっていました。
入院日・手術日も決まり、そのための検査等も行っていたんだけど、「どうしても手術はしたくない」と言い出し、自分でネットで色々と調べて、手術はしないことになりました。
その間、友人の紹介でセカンドオピニオンを受けたりしていたのですが・・・セカンドオピニオンでも「全摘」ということでした。

その後、自分で納得できる方法(民間療法、代替医療)で、治療をしていました。

2018年か19年頃からは、少しづつ出血が始まったらしいです・・・(局所進行乳がん)
その当時、私は、そのことを知らなかったのですが。。。
2020年には、出血がひどくなり、極度の貧血になりました。
HGBの値(血色素(ヘモグロビン))が、女性の標準範囲が 10.6-14.4 g/dl のところ、わずか3.4g/dlという値まで下がって・・・
仕事にも、かなり影響が出ていたみたいですが、、、それ以上に、この値で生活できていることが不思議なくらいの値でした。

この頃は、近くのクリニックで、貧血の治療を受けていましたが、これ以上は輸血しないと難しい、、、ということで、大学病院に紹介状を書いていただき、輸血をしていただきました。
この時、やっと標準治療を開始しました。(発病から約4年半後)

すでに、骨転移や肺門部転移がありましたが、幸いにも内臓への転移はなく、本格的な抗がん剤治療が始まりました。副作用は、足の痺れと脱毛が大きいところ。吐き気や味覚障害等はほとんどなかったのは、良かったかな。

2021年11月頃に、脳転移が発覚しました。

これは、本人も、かなりショックだった様です。放射線治療の全頭照射を受けました。
本人の note は、2021年12月3日の投稿で、終わっています。

2022年に入って、2月頃までは、体調が良い時は、料理好きな娘が夕飯を作ってくれました。小さいコンロ用のピザ釜を買ったり、燻製器を買ったり、、

3月4月は、少し良くなったり、また少し調子悪くなったりの繰り返し。訪問看護、訪問リハビリ等もお願いする様になりました。

5月15日(土)には、小学生の時からお世話になった囲碁の先生の追悼の会が、日本棋院でありました。かなりギリギリの体調だったのですが、車椅子で何とか参加することができました。(私と娘と小5の息子と3人で)

仕事でお世話になっている(いた)先生たち、懐かしいお友達(同志)とも逢うことができ、本当に行かれて良かったです!
ほとんどの方が、この日が最後の別れになりました。。。

5月28日(土)には、小5のチビさんの運動会。学校の全面的なご協力のもと、こちらも車椅子で、観覧することができました。本当にありがたかったです。チビさんも、とても喜んでいました。

6月に入ると、嘔吐がひどくなり、ほとんど何も食べることができなくなってしまいました。抗がん剤の副作用もあると思うけど、脳転移後に飲んでいた薬(ステロイド)をやめたことも原因の一つなのか、、、色々な要因が重なっていたようです。
この頃には、訪問看護の他、訪問診療もお願いしていて、自宅で毎日、吐き気止めや脱水症予防の点滴を行っていました。

6月21日(火)は、チビさんのお誕生日でした。まだ吐き気は続いていたけど、何とか無理して(?)食卓の方に来てくれて、一口、お澄ましを飲んでくれました。

そして、翌22日(水)に入院。病院で嘔吐をしっかり治して、再び、抗がん剤治療に入るために。。。<・・・続く>

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