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陰と陽の両極を知る

陽に偏りすぎず、陰にも偏りすぎないことを意識して生活することは生きていく上で大切な要素だと思っている。

健全に良い子として生きる事は素晴らしいが、それだけでは人間の幅が狭くなる。
ルールを守り、遅刻もせず、波風立てずに生きる。本心からそうしたいのであれば良いが、たいがいの人は我慢している。

善も悪もエネルギーの向かう方向が違うだけだと考えている。
全く車が通っていない、人もいない田舎道で赤信号を横断歩道で待つ人がいるが個人的にはそういう場合は臨機応変に渡ってもいいんじゃないかと思うが、クソ真面目に待っている。

勝手な意見だが、少しの悪いことを出来ない人は少しの良いことも出来ない。
善であろうが悪であろうがエネルギーが小さいからだ。

100%善人なんていない。
100%善人ならこの世に生まれてくる必要がない。
どんなに優しい人だって1%の悪の要素は必ず持っている。

その自分の中にある悪の要素に気付けているかいないかの違いだけだ。
よく自分を内観していると必ず悪の要素があることに気づく。

人が罪を犯した時にここぞとばかりに批判する人がいるが、誰にだって罪を犯す可能性はある。
たったの1%であっても人間である以上、そのような要素は皆秘めている。

自分を内観し、自分にある負の要素に気付いている人は罪を犯した人間に対して自分のことを棚に上げ批判はしない。

自分も環境や追い込まれた状況によっては罪を犯す可能性を感じているからだ。

もちろん、罪を犯す事は良くないし、悪い事はしないことに越したことはない。

しかし、恵まれた環境で勝ち続け良い子としてのみの生き方しか知らなければその側面でしか物事を測ることはできない。

この世の物事には全て陰陽両方の側面がある。
負の経験は人間の幅を広げる。
勝ち続けている人間には見えない世界があるのだ。


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