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「たられば」の苦しみから解放してくれた、旦那さんの言葉

バッタモン家族とは関わりを持たなくなって、旦那さんや旦那さんの家族が私の「家族」になったのだけど、それでもやっぱり自分の”元”家族のことを簡単に忘れることはできないものやな〜。

 親の愛情を存分に受けて育った人
 お正月やクリスマスなど家族が集まるイベント
 テレビの家族の絆物語

そういうのを目にすると、「なんでバッタモン家族は、こうなれなかったんやろう」って考える。

別に彼らと関わりを持ちたくないし、今さら親の愛情を求めても…って感じやけど、それでも「こうだったら」って考えることはある。たまに、自分が家族にされた辛いことを思い出して、涙がブワっと溢れてくる。

そうやって、「たられば」なことに悩んで苦しみ続けて、何度も同じところにぶつかっている。具体的に何か辛い出来事があるわけじゃないのに、感情をどう処理していいのか分からなくなる。その度に私の旦那さんは、気持ちを否定せずに黙って抱きしめてくれるから、いつも救われている。

「進む先に道がなくて、岩だらけで、壁があって行き止まり。さぁ、Maiはどうする?」
「…へ?うーん…。道を作る?」

「うん、それもありやね。ほんでも、無理に道を作る必要がないこともあるやよ。答えが出ていることに向き合うと、そこに留まってしまう。また自分が迷い込んでしまわないように、誰かが同じ道を辿らないように、マップに印をつけてあげてみたらどうかな?そしたら、あとはその気持ちを心に大事に残しておいたらいいよ」

ハッとして涙が止まってしまった。道を作らない選択をしてもいいんや。バッタモン家族と私の人生の道が重なり合うことはもうないんや。まだどうにかなると思って行き止まりを見つめても道は開けない。目の前が明るくなった気がした。

頭の中で「Maiの人生マップ」を開いて、自分が築きたかったバッタモン家族との幸せな未来(不可能)、旦那さんやこれからの家族との未来(自分次第)を見つめる。求めてるのはバッタモン家族との未来じゃないから、そこに「✕印」を入れることにした。

忘れるためじゃなくて、また泣いてしまった時に「ここで悩んでも仕方ないよ、答えでてるよ」って、リマインドするため。そうすれば、「たられば」を考えることが少なくなった。「たられば」は自分を不幸にする、と旦那さんは言うのだけどその通りだった。これまでは「たられば」に振り回されていたけど、これからは「たられば」を自分でコントロールすることだってできる。

「悲しい時は悲しんで。辛い時は辛さを感じたらいい。『無理に抗わない』って、ブッダの言葉にもあるよ。」

旦那さんの言葉は、私に無理をさせずに心の整理をする手伝いをしてくれる。どうにもならないことに悩んだ時は隠したり、無理して立ち向かったりせず、自分を苦しめない方法を見つける必要もある。逃げること、諦めること、ソっとしておく思い出があってもいいんやね。

道はひとつじゃないことを知ったから、これからは色んな選択肢ができるようにしていこう。

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