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魔法のペン【短編小説】

あらすじ
魔法のペン。それは作家が手にするとスランプ知らずで、書いたものは全て大ヒットする。だが選ばれた者しか持つことができない。かつて売れっ子作家だった安田は、無一文になり人の家に忍び込んだ。そこで見たのは、心震わせる文章だった。彼がとっさに出た行動と、彼の未来は?

文字数:約2,800文字
ジャンル:ほっこり


現代の日本。創作をする多くの者たちが、「魔法のペン」を渇望している。選ばれた者しか持つことができないという噂だ。持てばスランプ知らずで、書いたものは全て大ヒットするという。しかしその詳細は謎に包まれており、入手経路もよく分かっていない。

元人気作家・安田史典もそれを欲していた。しかし、彼の作家人生は絶たれてしまった。「魔法のペン」を持つジャーナリストによって。

今の世の中、地道に頑張っている奴に光なんか当たらない。今は何でも、数と早さが物を言う時代だ。書店には「売れる」「バズる」「これさえすれば」「1週間で」なんて文言の本ばかりが溢れている。人はわかりやすいものに流されて「良い」と言う。そんな作品ばかりが売れてちやほやされる。

そこに「魔法のペン」だ。あのペンは悪い意味でも大ヒットを飛ばせる。ペンのことを思うと、安田は、嫉妬と羨ましさと後悔が頭の中で醜く混ざり合うのを感じた。

もともと安田は、名のある賞をいくつか獲るほどの作家だった。一筆入魂の処女作が大ヒット。それを皮切りに人気作を世に送り出し続けた。どの本屋に行っても安田の本が店頭を独占し、テレビや雑誌からのインタビューを得意げに受ける日々。彼は徐々に自身のエゴに溺れていった。やがて、自尊心の対価に創作意欲を売り飛ばし、最新作ではゴーストライターを雇ったことが世間に露呈して、彼は人気作家の立場を蹴落とされてしまった。

何を隠そう、それを暴いたのも「魔法のペン」をもつ記者だった。それからというもの安田は「魔法のペン」に対して、恨みと憧れを同時に抱くようになってしまった。

苦し紛れの釈明文は、嘲笑の的にしかならなかった。例の記者には金を積んで記事の修正を求めたが、返ってきたのは「ゴーストライターもそうやって雇ったんですかね」という皮肉。得られたのは無力感だけだった。

何をしても落ちぶれる一方で、道ですれ違う人も、もう誰も彼が”あの安田先生だ”と気づいてはくれない。金も立場も失った。どうすればあの輝かしい時間を取り戻せるのか、もともとなぜ小説を書いていたのか、自分は今どうすべきなのか。安田は、もうよくわからなくなってしまっていた。

肩をすぼめ、ポケットに手を突っ込んで、路地を歩く。指の先には、小銭の冷たい金属の手触りを感じる。

あぁ、腹が減った。あの頃は、行きつけの店に行って、メニューも見ずにたくさん注文して、たらふく食ったり飲んだりしたもんだ。

それと比べて、これらの小銭は、きっと菓子パンを買うのでさえためらうほどの額だろう。己の立場をわきまえろ、と言わんばかりの。

そんな時、一軒の家が目に留まった。ほのかにいい匂いがする。台所の脇だろうか、小さな窓が開いている。家の中にも、周りにも、人の気配はない。

気がつけば安田は、その家の中に立っていた。あぁ、こういうのを「魔が差す」というのだな。昔、作品を創りながら、辞書を引いたことを思い出す。

「もうどうにでもなれ。」

家の中を物色し、食べ物や金目のものをポケットに入るだけ詰め込んでいった。

机の上には原稿、小説、パソコン、ペンやノートが散らかっている。こいつも作家か。机の上に置かれた原稿を手に取る。

的場圭太、聞いたことない名前だな。どうせ売れない作家だろう。ペラっと紙を捲り、何ページか読んでいく。

…なんだこれは。

原稿がうっすら光を帯びているかのようだ。流れるような文体に、的確でウィットに富んだ言葉遣い。少々粗い部分も見てとれるが、まるで作者の筆が奔る音が聞こえてくるようだ。

これで、本当に無名なのか。

気がつくと夢中だった。まだ書きかけなのか、途中で終わっている。「続きを読みたい」なんて思ったのはいつぶりだろうか。そして、頭に一つの考えが浮かぶ。

「魔法のペンだ。」

原稿を机に投げ捨て、部屋を引っかき回す。あのペンさえなければ、俺は破滅しなかった。あのペンさえあれば、やり直せるんだ。どこだ。

「ひっ!」

不意に聞こえたその声に振り返る。 そこには一人の青年が縮み上がっていた。安田自身も冷汗が吹き出している。今更後戻りはできない。机の上のハサミを手に取り、無言で睨みつけながら、青年の方に突き出した。それが脅すためなのか、自衛のためなのか、自分でもわからなかった。

青年は、今にも腰を抜かしそうだ。

「お、お金なら、こ、これに。」と財布を出してきた。安田はそれを受け取らずに聞いた。

「お前、作家なのか?」
「へ?」

「これは」と安田は原稿用紙を鷲掴みにした。
「お前が書いたのか?!」
「は、はい!しゅ…趣味です。」
「じゃあ、お前が的場なんだな。魔法のペン、持ってんだろ?あれを渡せ!そしたら出てってやるよ。」とハサミをちらつかせる。

的場は腰を抜かした。そして怯えた表情で、ハサミと安田を交互に見た。
「え?ま、魔法のペン?」と的場は首をかしげる。
「ああ。選ばれた奴が持てるペンで、必ず大ヒットを飛ばせるってやつだよ!知ってんだろ?」と安田は乱暴な口調で言った。
「持ってませんよ、そ、そんなの。」
「嘘つくな!こんな文章、あのペンを使わずに書けるはずがない!どこだ!」
「ど、怒鳴らないでください!僕が持ってるのは、この、ペンだけです。」

的場は震える手で、ポケットからペンを取り出した。どこにでも売っている普通のペンだ。

「う…嘘だ。どうやってこんなもんが、普通のペンで書けるんだよ…無名、趣味で書いてるだって?お前はなんで、なんで、物語を書いてるんだよ。金にもならねぇ、誰も読まねぇなら、書く意味なんかないだろ。」

安田は口に手を当て、独り言のように呟く。的場は丸くなって怯えている。安田はしゃがみこみ、ハサミを的場の顔の前に持っていく。

「おい、答えろ!」

的場は安田を見た。

「僕は、楽しいから…書きたいから書くんだっ!それだけだっ!」

的場は大粒の涙を流してまた丸くなった。人生の終わりを覚悟してギュッと目をつぶった。しかし、いくら待っても衝撃や痛みが訪れない。的場が顔をあげると、ハサミと彼の財布だけがそこに残されていた。

的場の家から走り去る安田の胸中は、ぐちゃぐちゃだった。「楽しいから書く」。その言葉を聞いた瞬間、胸に走った衝撃。

そうだよ、そういう単純なことだったんだ。 何やってるんだ、オレは。 オレだって、オレだって……

その時、大粒の涙をこぼしていたのは、的場だけではなかった。

数年後、安田は古びたアパートにいた。彼の手には1冊の小説。本の帯には「書きたいから書く。読む者の心に感動を与える、期待の新人作家!」とある。それを傍らのちゃぶ台に置いた。

「よし、俺も書くか。」と、どこにでも売っている普通のペンを手にした。

的場の家から逃げた後、追っ手もお咎めも無かった。的場という青年が向かったのは警察では無く、出版社だったようだ。

差し込む陽の光が温かい。何か思い浮かびそうだ。

END

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