「本当」に好きなものへの思い
どうやら私は、自分の好きなものを勘違いしていたようだ。私が好きだと思ったことは、親が好きだったもの。親に嫌われたくなくて、ぽっかり空いた心を埋めようとしていたみたい。良くも悪くも、親の影響って大きいな。
前、好きだったもの
ファッション
メイク
賑やかな場所に行くこと
買い物
都会で暮らしているときは、給料のほとんどが洋服やコスメ代になっていた。濃いメイクをして、足が痛いのに10センチのヒールを毎日履いて、賑やかな場所に出向いて楽しく(フリして)過ごしていた。
今、好きなもの
読書(小説や漫画)
裁縫
文章を書く
ゲーム
アニメ
今と前を比べると別人みたいだ。どれも私の旦那さんに勧められて始めたこと。彼は人を観察するのが得意で、私の好きそうなこと・ものを提案するのが上手い。実際に勧められたことをやっていく内に、どれも「本来」の自分が好きだったことばかりだと分かった。
思い返すと小学生くらいの頃は、ペンケースやマスコットを手作りしたり、絵日記を書いたり、図書館で本を読んだりするような子だった。
でも好きなことは全て親に奪われて、好きなものや楽しむことを諦めるクセがついた。親のせいにならいくらでも出来るけど、私自身も良くなかったと思う。
大人になっても、自分の頭で考えなかった。本当に好きなものを見つけるには、何かを買い続ければいいと思った。当たり前だけど何を買っても満足せず、まだ使えるものを捨てて新しい物を買っていた。
根本的に間違っている。
物を変えたり、自分を偽ったりするよりも、まずは「私はこれが”本当に”ほしい?好き?」と自問自答すべきだった。
本来の私はメイクも着飾るのもしんどいから、必要な時だけでいい。買い物だって、私が本当に必要でほしいものを買って長く使い続けたい。
今の自分が好きなものを知ってからは、ちゃんと「私」を生きてるんだと実感する。「私」が自分で考えて、決めて行動して、楽しいと思えるものを見つけた。
好きなことをする時に、「私はこれが好き…なんだよな?」みたいな疑いがない。1日の終わりには、充足感に満たされてベッドに入ることができる。
好きなもの探しをするのも大事だし、物をたくさん買って後悔することもある。ただ、自問自答せずに、人が良いと言うものや流行りに惑わされては、好きなものは見つかりにくいと思った。
物が、私を幸せにするのは一瞬だけ。私の幸せを継続するのは、心から「これが好き」というものを大切にして、楽しんでいくこと。
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