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【第38話】ハサミ

パパ

死ね


家族の我慢は限界に達していたのに、それでもまだ耐えることを選んだ継母。
ハサミを持った幼い妹が、階段の脇に彫り刻んだのは、そんな恐ろしい言葉だった。


*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。


私たち姉妹の性格は正反対と言える。

当時、姉の私は血の気が多くて、人を寄せ付けない態度が普段からにじみ出ていたように思う。対して妹は、穏やかで、明るく、ユーモアがあって人気者。また妹は、継母と同じくらい我慢強い。

だからこそ、妹の心の闇を垣間見た時に、背筋に悪寒が走ったのだった。


私は高校卒業と同時に、就職のために地元を出た。成人式で里帰りをした時のこと。

あれだけ家族から離れたがっていたのに、いざ帰省してみると久しぶりの実家は不思議と落ち着いた。離れた方が、私と両親の関係が良かったことも影響していたのだろう。帰省時の両親は(少なくとも表面上は)穏やかで喧嘩の様子もみられなかった。家の中でも、どんよりした空気は感じなかった。私がいない間に、家族の関係に何か変化があったのだろうか。

「”あの家”にいるのに平穏」という、奇妙な違和感を覚えながら二階自室に戻る。その時、階段の手すりに、いくつか傷があるのに気づいた。登り慣れた階段だ、前はこんなのは無かったはず。針金ハンガーやコインで引っ掻いたような一直線に長い傷、✕印か何かのマークのようなもの。なんやこれ?

疑問には思ったものの、「家を間違ったのか」と思うほど”平凡な”わが家に、その時は傷のことなどすぐに忘れてしまった。思い出したのは数日後、継母が二階の私の部屋の前で洗濯物を干していたときのこと。そういえば、と尋ねてみると、

 「それ、マナがつけてん。あんたがこの家を出て間もない頃に、お父さんは、もうせぇへんって言うてたのに、また、私の顔が腫れ上がるまで…殴ってきたんよ。あの時、マナとケンは怖かったんやと思うわ。手すり、もう一回よく見てみ?」

私が最初に単なるひっかき傷だと思ったのは、継母によればマナが彫った文字だという。私は最初、大人の立ち目線で”それ”を見たから分からなかったらしい。小学生の女の子が階段の縁に座り込んだくらいの目線でそれを確認し直してみると、確かに、階段の手すりに文字らしきものがいくつも刻まれている。


 パパ    
    死
  ネ   キライ

 死    死
   キ     ライ


これは、小さな妹の手が、継母が殴られている音を背に、何度も何度もハサミを壁に突き立てた跡なのだ。

「私が”また”殴られてる間、マナはハサミでこの傷をつけたらしいんよ。本人はあまり覚えていないみたいやったけどな。」

さも他人事という風に、その時の出来事を話す継母。何を言っているんだ、この人は?殴らたこともヘラヘラと笑い、娘は恨みを込めた文字を刻み、すでに”よそ者”になりつつある私の前では穏やかな家族ヅラをする。この異常な状況がわからないのだろうか?

話によれば、妹がこれらを彫った時の父の暴力は、それまでを凌ぐ勢いだったそうだ。継母の顔は、目が開かないほどに腫れ上がったらしい。殺されるかと思った。そう言いながら、まだ彼女は笑っていた。この皮肉な笑顔を見た時、私は本当にいつか、誰かが誰かを殺し兼ねないと思った。

いくら私が「おかしい」と言っても、家族は「我慢していれば終わる」と耐えている。感覚が麻痺して、誰も危機感を持っていない。最終的には、私の方がおかしいのかと思ってしまうほどだった。


その後、もともと滞在は数日間の予定だったので、とりあえずの結論として「様子見」というところに落ち着け、実家を後にした。本音を言えば、そんな家族の異常事態を目の当たりにしつつも、問題と向き合わず、逃げたと思っている。警察に相談する、暴力を振るわれた証拠をとらえておく、役所を頼る、もっと周りに相談するなど何か具体的に動くべきだった。もしもあの時、私だけでも何か行動していれば…と、今でも後悔している。


植物は枯れていたり病気の葉の部分があると、放っておくと健康な部分までやがて蝕まれてしまう。実家での一件はそれと同じだ。両親の関係が、妹や弟の心までも侵食してしまっていたんだろう。唯一父が煙たがっていた私が実家を離れたことで、侵食に歯止めが効かなくなるどころか、見えないところで加速してしまっていたのだ。

殴られない・怒鳴られない=幸せな家庭、では絶対に無い。問題の根っこを解決しない限り、暴力からは逃れられへん。我慢の方がその時は楽に感じるかもしれない。でも、それは決して「解決策」にはなり得ない。その我慢の瞬間を積み重ねて、いざ自由になったのが20年後なんて、自分の時間と人生は人に殴られるためにあるみたいやん。

最終的に継母は、こんな状況でも「我慢すること」しか選べなかった。妹には、壁に刻んだ闇を解消する機会は与えられなかった。私は…行動する勇気がどうしても持てなかった。こんなにも”悪くなった葉々”を残した結果…文字通り数年後、血を見る結果となった。

怒り狂った父に対峙し、私たちを守るために大怪我をした弟。その場の叫び声と血溜まりの中、警察、病院、そして脱出。

今思えば、”それで済んだ”のが不思議なほどの大惨事だった。今でも、逃げる手伝いをしてもらった警察官のおじさんに言われた、「逃げなきゃ殺されるよ」という一言が、嫌にリアルに耳に残っている。


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