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デザインは問題解決か?

「デザインは問題解決」という言い方がある。はじめて聞いたときから、個人的にはこの言い方はちょっと引っかかってモヤモヤしている。
これは捉え方によってどうとも応えられる。要は何を強調したいのか、ということなのだろう。

何を?

大きくゆるくいえば、デザインは「問題解決」であると、いえなくはない。しかしそれでは工学はどうなのか。問題解決以外の何ものでもあるまい。あるいは芸術だって、何らかの問題を解決していると説明することも、それほど奇異ではない。

ぎゃくに「問題解決」でない行為、とはどのようなものか。二つ考えられる。

  1. 「問題解決」は、「問題の『解決』」であり、「解決」に軸足が置かれている。解決ではないこととしては「問題の発見」「問題の規定」などがある。これらは、デザインの内なのか、外なのか。

  2. デザインは「問題」など問題にしないで、ただ楽しみのためにやっているだけ、そういう立場もなくはない。これはつまり「目的」が意識されているかどうか、ということだろう。

自分はこう考える。
デザインに、2.のような要素はあるし、そういうことを失いたくない、とさえ思う。でも、大きくはやはりデザインは問題解決であるのだが、どちらかといえば「問題の発見」にかかわる行為であると見ている。「解決」に体重を乗せない方がいい。

誰もが、気がついているつまり顕在化した、明確に定義された「問題」については、むしろ工学などの合理的なアプローチの方が「解決」に相応しい。定義された問題とは、何をもって解決されたか、達成すべきゴールが明確な問題である、ともいえる。
そこではデザインの有効性は、強調するほどに高くはないような気がする。もちろんその解決方法に関してアイデアを提案するという形ではある程度は貢献はできるかもしれないが、安定して提供できるとはいえない。そういう根拠は薄いと思う。

そうではなく漠然とした問題について、問題をわかりやすく「表現」することや、それに人びとが暗に感じていたが、まったく意識にはのぼっていなかったことなどについて、「こういう問題がある」と気づき、表現し、指摘すること、それがデザインの重要な立ち位置であると思う。もちろん問題を指摘するだけではなく同時に解決策も提示しなければならないのだが。

デザインにおいて、「アイデア」を出すことは、中心的な必須の作業である。典型的にはアイデアはスケッチ(多くはテキストではなく絵)を描くという方法で出されるが、その絵に描かれているものは、多くの場合「解決の形」「解決の様態」である。しかし、その解決=答えは、また、問題=問いを示唆している。つまり、あるべき形=答えを描くことによって、問いを浮き彫りにしている、ともいえる。
結果としてデザインは、問い=問題を、創造=クリエイトしている。
デザインはよくクリエイティブな職業と呼ばれるが、何を「創造」しているかといえば、答えというより問いをクリエイトしているのだと思う。

問題

ところで「問題」とは、どう定義されるところのものなのだろう?

問題とは、あるべき状態と現実の状況とのギャップのことである。

ここでいう問題は、何か「まずいこと」だけでない。「解かれなければならない」ことは、すべて「問題」であるといってよい。ぎゃくに、解こうと思えば解けるけど、解いても解かなくてもどっちでもいいというようなことを、問題とはいわない。

そして「解く」ということは、あるべき姿と現状とのギャップを埋めることである。

「あるべき状態」は、論理的に導かれるものもあれば、感覚的に導かれることもある。

「正義」「公正」「希望」「欲求」「願望」「美意識」...

願望にせよ、正義感、美意識にせよ、もしも「あるべき状態」のイメージを持たないならば、そこには「問題」も生じない。
ときどき見かけるが、ひどくニヒルな人(冷笑系?)や、あまりに博識な人(解決の困難度まですべて見通しているような人)が、自分としての「あるべき姿」を宣言しない/できないでいる状況がある。かれらには、ギャップも問題も解決もない。
「あるべき姿」を心に抱くには、それなりの熱量がいる。

デザイナーが「未来」を表現するのは、あるべき状態を描こうとしているということ。それをつぶさに見せることによって、現実=今の状態とのギャップを皆に想像させ、解くべき「問題」を提示している。

そして、デザインは、問いと答えを同時に差し出す、ということである。


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