AIについて
AIについて、いろいろと驚いたり恐れたりしているが、今の自分の感じや考えを、いちおう書いておく。あとで答え合わせをするために。
(「あと」→たぶん50年後?)
この急峻に立ち上がってきたAIの波は、本物であると思う。実体としての大きな波であって、けっして幻影ではない。 かつて、マルチメディアとかハイパーメディアとか、○○革命とか、○○2.0とか、「これこそ」レベルのたくさん「ブーム」があったが、ある意味で、ほとんどが幻影だった。でも、このAIの流れは、それとはちがうと思う。 AIがこんなことになるとは、自分は想像していなかった。これは本当に驚きだ。
「恐れ」は、あることはある。
AIが多くの職を奪う、ということはありうる、といより、かならずそうなると思う。でも、人は生きていかなければならないし生きていくだろう。AIが人に代わって仕事をしてくれること自体は悪いことではない。どこかに安定するバランスをみつけて、収束していくと思う。
小説や映画で描かれるAIディストピアの起こる可能性は、限りなく低いと自分は思う。
そういう中で、自分が恐れるのは、AI(など)によって人の大切なものが傷ついたり、毀損される可能性について、である。具体的には、何かをしようというモチベーションとか、何かを知ろうとする好奇心、あるいは何かを達成する生きがい、などである。 AIにつながるセンサーの解像度の向上や、集合知の掬い出し方の精度の向上、総合的な判断の正確さなど、これらはまだ部分的かもしれないが、人の能力を完全に凌駕している。
人にとって、「人にしかできない」という認識はかなり重要なポイントだと思う。そういう意味で、今まで人は動物界で、つまり世界では連戦連勝負け知らずのチャンピオンであった。 AIもじつはその戦いのために作られたものでもあるのだけれど、いつのまにか人間の指示をまたず「勝手に」判断して、やってくれる存在になりつつある。しかも想像をはるかに越えて上手に。人がこれに過剰に依存してしまうだろうことは想像にかたくない。そして起こるのは思考停止。これがもっとも恐れるべき事態ではないか。
こういった状況のなかで、人はモチベーションや好奇心を失わずにいられるのだろうか。思考を停止せずにいられるだろうか。 つまりこれはAIの問題というより、それに対する人間側の問題であると思う。
しかしとはいえ、最終的には、人はこれにもうまく折り合いをつけてやっていくのだろうと思う。 その「折り合い」を大胆にいえば、人自身の変革、によってである。人自身の在り様を変えることによって、対応していくだろう。 言葉(意思疎通の道具)の発明によって「認知革命」が起きたように、AI(思考し判断する道具)の発明によって、「○○革命」が起きる、そんな気がする。
この○○には、何が入るのかはわからないが。
少し捕捉する。
すべては「未来予測」なので、ことの信憑性にかんしてはどこまでも話半分ではある。 ただ、これは危惧されるから手を打っておいた方がいいかな、と個人的に感じるポイントについては、発信し共有することは意味かあると思う。そんなスタンスで書いている。
そのうえで、AIの技術進化の方向性については、いろいろあって自分ではまったく整理がついていない。この技術が、すべてを解決する万能薬なのか麻薬なのか、超覚醒剤、猛毒物質なのか、わからない。 ただ、技術そのものよりも、この技術を受けとる側の「人」への〈効果〉の方が、よりクリティカルだと感じている。
そういう視点が、あまり強調・指摘されていない気がするので、しておこう、ということ。
またこの話題は、前に書いたこととも軌を一にしている。
■第三言語革命:
https://note.com/ogx/n/n391e5f131a6f
230715
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