キャンプする人生か、しない人生か。
東京の感染者数が爆上がりしている。でも「Go Toキャンペーン」なる旅行促進計画に前倒しでゴーサインが出た。でも東京都民はそのキャンペーンに乗れない。……幾重にも「でも」が重なったこの不条理な街で、私はなんというか、とてもむずむずしている。
そもそも、出不精なたちである。そんなにもりもり外へ出ずとも、なんのストレスもない体質だ。しかし、5月から続いた自粛&無職生活が、あと1週間で終わろうとしている。8月からは再びの勤め人生活が待っている。最後の記念に、どこか行ってみようかな……的な思いが頭をもたげてきたそのとたん、「東京の人は外に出ないでください」って都知事が言った。
もちろん、強制力はない。私にとっては「不要不急」ではなく「要」だし「急」なのだからと、えいやと出かけてしまうことも、できなくはない。でも……ううむ、小心者のわたしは、この状況でお出かけってなると、心のすみっこが緊張してしまう。だって、かかりたくないもの。是が非でも。
そんなわけで、最近はもっぱら、YouTubeの旅動画をもりもりと観ている。主にひとり旅、あるいは食べ歩き、もしくは呑み歩き動画だ。撮り手がカメラ目線でぐいぐいと語りかけてくる類いの動画は好まない。自分の目に映るものをそのままカメラで写し取る、そういう動画を私は好む。
ひとり旅動画をどんどん観すすめるうちに、YouTubeが私に勧めてくる動画がちょっとずつ多彩になってきた。「こういう動画を観てる人には、こっちの動画もオススメよ」的な機能があると思われる。私が思いのほかハマってしまったのは、「移動中」をとらえた動画たちだ。目的地までフェリーの船室で一泊。国際線ファーストクラスの一部始終。寝台特急の極狭な空間でひとり、特になすすべのない一夜。
旅の行程において、一番好きなのが実は「移動中」だったりする。旅の道中は基本的に、次にどこへ行くべきか、なにに乗るべきか、アンテナを立てて、ある程度の緊張が強いられる。しかし乗り物に乗ってしまうと、その席に座ってさえいれば、窓の外の景色は勝手に変わりゆき、勝手に目的地にたどり着く。なんて合理的なんだ。まるで退屈しない。
それらの動画を観ていると、今度はちらほらと「キャンプ動画」が混じってくるようになった。しかも普通のキャンプではない、「ソロキャンプ」というやつだ。主人公が自分で道具と食材を揃え、車でキャンプ場へ出向いては、ひとりで設営を完了させて、夜空の下で料理して食らう。特に「少年かむい」さんというYouTuberさんの動画に、私はすっかり魅せられてしまった。
その動画において、「少年かむい」さんは無言である。徹頭徹尾、無言なのに、動画はきわめて雄弁である。あらゆる景色にふれて、脳内で起こることや、浮かぶ言葉を、実に的確なタイミングで、字幕という形でダダ漏れさせている。これこれ。これなんである。ひとり旅って、表に出さなくても、感受性はフル稼働しているのだ。焚き火をすれば、その火を眺め、気が向いたら網を置いて湯を沸かし、気が向いたら食事の準備をする。そのマイペースさ加減が、ひとり旅ストのツボを突きまくってくる。そう、ひとり旅を好む者は、なにより自由に焦がれる生きものである。
え。ソロキャンプ、いいな。
そう思ってしまって、ハッとなった。だって私は小さい頃から、アウトドアからは一番遠いまわり道を生きてきているから。お外で遊ぶのが苦手だった。公園よりはおうちに、校庭よりは教室にいたかった。アウトドアな友人との旅行も、オープンエアな音楽フェスも、体験してはみたけれど、正直、くたびれるばかりだった。温泉宿から一歩も出ずに、しっぽりのんびりするのが一番好きである。
車の運転も、1ミリもできない。自分には運転は向いていないと、教習所で強烈に悟った。おそるおそる、超のろのろ運転で試験にギリギリ合格するも、二度と乗らないと心に決めていたので、ゴールドなペーパードライバーとして幾年かを重ね、ある年、ついに更新すらしなかった。自分が更新のタイミングを逸したことに気づいたのは、その1年後のことだ。
自分を「ソロキャンパー」へと育てあげてくれるような、キャンパーな友達も皆無である。というか「育てあげてもらう」プロセスを思うと、腹の底からめんどくさい。ショップで何らかのアドバイスを受け、何らかの装備を自分で選びとり、蚊に追われ、日に焼かれ、キャンパー友達から何らかの教育を受け、言い出しっぺは私なのだから、その受け答えは常に上機嫌でなければならず、最後には疲労困憊ながらも「楽しかったあ、ありがとうー♪!」とか言わなきゃいけない。
人生、いろいろとめんどくさくなったなー。そう思いつつ、その一方で、この歳になってよかったー、とも思っている。若い頃は、どんな関門も「なにごとも経験!」とかいった常套句を旗印に、挑んでいかなければならなかった。けれど今の私は、自分の身の程を知っている。自分の喜ばせ方も、へこませ方も知っている。人生、とうに折り返しを過ぎた。いいかげん、「訓練」や「試練」ではなく、楽しいほうを選びたい。
先ごろ、惜しすぎる才能が逝った。日々の食事ひとつ取っても、将来への投資であり鍛錬なのだと語っていたという。24時間365日、どんなに厳しい道のりだったろう。爪の先までプロフェッショナルだった彼の出演映画のCMを、ごろり横になって、でぶりきった腹を掻きながら眺める。これが、私の「幸福な人生」である。(2020/07/26)
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